繁忙期の、列
列の速さを決めているのは、列自身だ

ヤブキマドカ(35歳・空港保安検査員13年)

盆と正月とゴールデンウィーク。年に三度、検査場の列はいちばん長くなる。窓の外にはまだ朝の光がやわらかく差し込んで、ターミナルの空気はどこか浮き立っている。最後尾の札を持ったスタッフが、列の終わりがどこなのかを掲げて立つ。その札が見えないほど遠くまで、人が並ぶ。

列の進み方は、先頭の慣れで決まる。これは十三年立っていて、体で覚えたことだ。出張慣れした人が続くレーンは速い。ベルトはもう外してある。ノートパソコンは鞄から出して手に持っている。靴は脱ぎやすいものを履いている。私が「ノートパソコンはお出しください」と言う前に、もうトレーに乗っている。声をかける手間が、まるごと省ける。

逆に、年に一度しか飛行機に乗らない家族連れが続くと、列は止まる。父親が財布もスマホもポケットに入れたままゲートをくぐって、電子音が鳴る。母親が子どもの靴を脱がせるのに手間取る。ベビーカーをどう畳むのかわからず立ちすくむ。一組で、一分、二分。後ろの列は、その分だけ動かない。

急いでいる人のいらだちは、たいてい私たちに向かってくる。「まだですか」「遅いんですけど」。けれど、列の速度を決めているのは、検査員ではない。列そのものだ。先頭の数組が慣れているか不慣れか、たったそれだけで、後ろの何十人の時間が変わる。私はいらだちを受け止めながら、いつも思う。あなたを遅らせているのは、私ではなくて、あなたの三人前の人なのだと。

だから私たちは、列の「組成」を読む。朝のピークが近づくと、立ち位置から首を伸ばして、これから来る列の中身を見る。スーツの単独客が多い朝なら、レーンを絞っても回る。リュックを背負った子ども連れの塊が見えたら、家族連れ用のレーンを一本増やして開放する。ベビーカーが続くなら、畳むのを手伝える人員をそのレーンに寄せる。列を見て、人の配置を変える。それが繁忙期の段取りだ。

繁忙期の列には、その季節にしか現れない物が混じる。正月明けには、スキー板とブーツのケースが流れてくる。盆には、土産の紙袋がいくつも重なって、X線のモニターの中で四角い影を作る。ゴールデンウィークには、子どもの水筒だ。中身が入ったままの水筒は、液体物として弾かれる。「飲んでしまってください」と言うと、子どもが困った顔で親を見上げる。季節は、トレーの上を流れていく物で知れる。

ピークの時間帯には、交代が来る。一時間立ち続けると、目がモニターの影を追いきれなくなる。肩を叩かれて、私は列を離れ、奥の休憩室で水を飲む。戻ってくると、列はまだ同じ長さで続いている。私が抜けた数分も、列は誰かの手で流れ続けていた。一人の検査員が止まっても、列は止まらない。列を流しているのは、結局、列に並ぶ人たち自身なのだと思う。

最後尾の札の向こうで、家族連れが順番を待っている。子どもが水筒を抱えて、母親が搭乗券を握りしめて、父親がベビーカーのレバーを確かめている。彼らはこれから、年に一度の遠出をするのだ。その列の長さは、人々の旅への期待の長さでもある。考えてみれば、検査場の列は社会の縮図なのだ。慣れた人と不慣れな人、急ぐ人と待つ人、すべてがそこに並ぶ。

十三年、私は繁忙期の列を見送ってきた。いらだちを向けられても、もう動じない。列の速さは列が決めるのだと知っているから、私はただ、自分の数十秒を正確に繰り返すだけだ。それでよかったのだと、いまでは思える。今日も私は、同じ言葉を言う。「ノートパソコンはお出しください」。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。