ヤブサメチカゲ(40歳・活魚運搬の運転手18年)
活魚車という車がある。荷台に水槽を積んだトラックで、生きた魚を、生きたまま運ぶ。漁港で積んで、料理屋や市場の生け簀へおろす。私はこの車を十八年運転してきた。運送業のなかでも、荷物が呼吸をしている、たぶん数少ない仕事だと思う。
入ったのは二〇〇八年、二十二歳の年だった。それまで宅配の車に乗っていたから、荷台に荷物がいるのには慣れていた。けれど活魚は、荷物が勝手に弱る。段ボールは揺らしても文句を言わないが、魚は揺れただけで弱る。最初の数ヶ月、私は何匹も着いた先で浮かべてしまった。命を預かるとは、こういうことなのだと思い知った。
先輩に言われた言葉を、いまでも覚えている。「魚を運ぶんじゃない。水を運ぶんだ。水が良ければ魚は勝手に生きてる」。最初は禅問答のようで、よくわからなかった。けれど一年もすると、それがいちばん実務的な助言だったとわかった。私が見るべきは魚ではなく、水のほうだった。水温、酸素、それからアンモニア。魚の出す排泄物がアンモニアになって、それが水を悪くする。水の管理が、この仕事の核心なのかもしれない。
酸素は、ボンベから水槽へ細い管で送る。エアレーションというやつだ。出しすぎてもいけない、足りなくてもいけない。魚は酸素が足りなくなると、水面近くに口を出して、ぱくぱくとやる。鼻上げ、と呼ぶ。バックミラーは荷台の水槽まで映るようにしてあって、信号待ちのたびに、私はミラー越しに水面を見る。鼻上げが出ていないか。命を運ぶというのは、重い。
魚種によって積み方が違う。ヒラメは底で平たくしているから、仕切りを入れれば重ねて積める。ブリは泳いでいないと弱るから、泳げるだけの水を与えて、密度を下げる。同じ水槽でも、何を積むかで載せられる量がまるで違う。魚の性質に合わせて、水槽の側を変える。このあたりを覚えるのに、ずいぶん時間がかかったような気がする。
積み込みのとき、いちばん大事なのは手の速さだ。魚は網で扱われるたびにストレスを受け、それが鮮度に響く。だから触る回数を一回でも減らす。網に入れて、水ごとすくって、最短の動きで水槽へ落とす。漁港のおばちゃんたちはこれが本当に速くて、見ているだけで段取りの良さがわかった。私は今でも、自分の手より彼女たちの手のほうが速いと思う。
長距離は夜に走る。涼しいうちに着けたほうが、水温が上がらないからだ。深夜のサービスエリアで、トラックの運転手はみんな仮眠を取る。私は休憩のたびに、降りて荷台の水槽を覗く。酸素は出ているか、水は澄んでいるか、鼻上げはないか。隣の運転手が不思議そうに見ていることがある。荷物が生きているというのは、そういうことだ。眠っている間も、誰かが息をしている。
夏が、いちばんの敵だ。水温が上がると魚はばてる。けれど氷を入れると、今度は下げすぎる。急な温度変化も魚には毒だ。だからチラーという冷却装置を回す。古い車のチラーはうるさくて、走行中もずっと低い唸りを上げている。私はあの音で、水温が保たれているのを聞き分ける。音が止まったら、それは故障だ。耳が水温計のかわりになる。
着いた先で、魚を生け簀に放す。元気なやつは、放した瞬間にすっと底へ泳いで散る。弱ったやつは、しばらく横を向いて浮いている。料理屋は元気な魚にしか値をつけない。弱らせて運べば、その分だけ値が下がる。水の管理は、そのまま魚の値段だった。十八年たって、私は魚の運転手というより、水の機嫌を見る人間になった。水の機嫌が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。バックミラーは、今日も水面を映している。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。