ヤエザワミドリ(41歳・茅葺き職人19年)
茅で屋根を葺いて十九年になる。茅はススキやヨシのことだ。刈って干した束を屋根に重ね、叩いて締め、縄で結ぶ。手のひらは縄擦れで硬く、冬は指の節が割れる。
二〇〇七年、二十二歳のときにこの道に入った。憧れて、ではない。地元の建設会社を半年で辞めて行き場がなく、母方の遠縁にあたる親方が、女でもやるかと一言だけ言った。それで茅場の冬の手伝いから始めた。日本の原風景がどうとかいう話は、後から人に説明するために覚えた言葉で、最初の冬に手にしていたのは鎌と、霜焼けだった。
葺き場に上がった初日、親方は道具の名も教えず、束から茅を一本だけ抜いて私に握らせた。「これで雨が防げるか」。指で曲げればしなる、頼りない草だ。防げません、と答えると、親方はその一本を束に戻し、束ごと私の腕に抱えさせた。ずしりと重く、抱えきれずにこぼれた。「茅は一本では雨を防げん。束で防ぐ。厚みと角度が屋根の全部だ」。それだけ言って足場を登っていった。
葺くとは、束を寝かせて下から上へ、少しずつ後ろにずらして重ねることだ。そのあと「叩き」——平たい板に短い柄のついた道具——で軒先を下から叩き上げる。叩くと、ばらばらの草の先がそろい、小口が一直線に締まる。叩く前は乾いた音、詰まってくると低く重い音に変わる。その音が変わったら止める。叩き上げた軒は厚さ三十センチほど、切り口は影が一本の線になって落ちる。
勾配は十寸勾配、四十五度より急に取る。雨は屋根の表を流れ落ちるのではなく、茅の繊維をほんの少し潜って外へ出る。だから急であるほど水は中へ入る前に走り落ち、厚いほど通り道が長くなって途中で帰る。一本では理屈にならない草が、束になり、三十センチの厚みと十寸の勾配になって、はじめて半世紀の雨をしのぐ理屈になる。親方の「厚みと角度」は、寸法のことだった。
材料は買わずに刈る。冬、葉の落ちた枯れススキの原を鎌で根元から刈り、束ねて干す。私が通った市境の茅場は、二か所あった。一か所は二〇一二年に太陽光パネルの架台が並び、もう一か所は刈る人がいなくなって、いまは背の高い藪だ。残った一か所まで車で一時間半かかる。束の値は、入った頃の三倍になった。
葺き替えでは古い屋根を剥ぐ。何十年も載っていた茅を抜くと、内側から真っ黒な茅が出てくる。囲炉裏の煙が長い年月、屋根を内から燻して虫を寄せつけずにきたのだ。素手で抜くと、煤が指紋の溝に入り込んで三日は落ちない。乾いているのに、嗅ぐと焚き火の底のような匂いがする。煙が屋根を生かしていた。傷んだ箇所だけ古茅を二十センチほど抜いて新しい束を差し込み、叩き直す「差し茅」という直し方がある。全部は替えない。文化財の屋根は寸法まで決まりがあり、民家の屋根はその家の暮らしに合わせて手を入れる。
雨の日、葺いたばかりの屋根の下に立つと、濡れた草の匂いがする。匂いはするのに、頭の上には一滴も落ちてこない。三十センチの厚みが、匂いだけ通して水を帰している。十九年、私はその断面ばかり見てきた。一本では頼りない草でも、束ね、厚みと角度を与えれば、半世紀の雨を返す。今日も足場の上で、私は叩きの音が低く変わるのを待っている。