棟の、仕上げ
屋根のいちばん高いところで、雨をまず受ける線

ヤエザワミドリ(41歳・茅葺き職人19年)

屋根を葺いていちばん最後に手を入れるのが、棟だ。棟というのは、屋根のいちばん上の線のことだ。二つの斜面が登りつめて出会う、その頂上のことを言う。葺くのは下から上へだから、棟は仕上げになる。そして仕上げであると同時に、棟は屋根のいちばんの弱点でもあるのだと、私はいつも思う。

なぜ弱点かというと、雨がまず当たる場所だからだ。空から落ちてくる雨は、屋根の斜面の途中ではなく、てっぺんの線に最初に触れる。二つの面が出会うということは、葺いた茅の小口がそこで途切れるということでもある。斜面の途中なら茅は下へ下へと水を送るが、棟ではその送り先がない。頂上に集まった雨を、どう左右へ振り分けて、どう斜面へ預けるか。棟の納め方は、その一点にかかっている。

面白いのは、同じ茅葺きでも棟の流儀が里ごとに違うことだ。私の通う地方では、杉皮を何枚も重ねて棟を覆い、その上から縄と竹で押さえる。隣の谷へ行けば、瓦を伏せて棟にする家がある。さらに山を越えると、棟そのものに草を植える「芝棟」がある。芝棟は、頂上に土を盛り、そこへ草の根を張らせて、生きた草で屋根のてっぺんを縫い止めてしまうのだ。同じ「茅で葺いた屋根」なのに、頂上だけは、まるで別の生き物のように土地ごとの顔をしている。

棟を留めるのは、縄と竹だ。杉皮を重ねた上に竹を一本渡し、それを縄で斜面の茅へ縛り下ろす。ただ縛るのではなく、風で持ち上げられない向きに縄をかける。台風のとき、屋根を壊すのは雨より風で、風はいつも棟を下からめくり上げようとする。だから縄は、めくり上げる力に逆らう角度で締める。竹はその縄の通り道を作り、力を屋根全体へ散らす押さえになる。縄と竹の、この地味な縛りの構造が、頂上を風から守っている。

棟だけを直してほしい、という依頼が来ることがある。屋根全体はまだ持つのに、棟だけが先に傷む。これは傷む周期が違うからだ。斜面の茅は何十年も持つのに、雨をまず受ける棟は、その半分ほどで草臥れてくる。だから棟だけ杉皮を替え、縄を結び直す。屋根を全部下ろさずに、頂上の線だけ若返らせる。屋根にも、寿命の異なる部分があるのだ。

芝棟の家を直したことがある。梅雨に入る少し前、棟の上にイチハツが咲いていた。紫の、菖蒲に似た花だ。屋根のてっぺんに花が咲いている光景は、まるで絵本のように美しく、空に一番近いところで咲く花は、見上げる者の心をそっと和ませてくれるようだった。だがイチハツは、ただ美しいだけで植わっているのではない。その根が土を抱き、棟の土が雨で流れるのを防いでいる。花は飾りではなく、根で屋根を留めている。植えた人は、美しさのために植えたのか、留めるために植えたのか。たぶん、その両方なのだろう。

イチハツの根を傷めないように土を足し、杉皮を継ぎ、縄を締め直す。芝棟の修理は、屋根の仕事であると同時に、少しだけ庭仕事に似ている。生きた草を相手にするからだ。乾いた茅と違い、芝棟の草は水を含み、季節で太り、根で語りかけてくる。屋根が呼吸しているということを、芝棟ほどはっきり教えてくれるものはない、と私は思う。

棟を納め終えたら、足場を下りて、地上から屋根を見上げる。棟の線が一直線に通っているかを確かめるのだ。横から、斜めから、少し離れて。棟の線がまっすぐ通っていれば、屋根全体がきりっと締まって見える。逆に、棟が波打っていれば、どんなに斜面をきれいに葺いても屋根は間が抜けて見える。棟の線が、屋根の顔を決めるのだ。仕上げの一線が、その屋根の表情のすべてを決めると言ってもいい。

頂上は、雨をまず受ける。だから先に傷み、だから里ごとに工夫され、だから縄と竹で風に縛られ、ときに草さえ植えられる。私は十九年、屋根の弱点であり、屋根の顔でもある、この一本の線を納めてきた。棟の線が屋根の顔なのだ。仕上げとは、いちばん弱いところを、いちばん美しく見せる仕事なのかもしれない。今日も私は、地上から棟の通りを見上げて、その線がまっすぐであることを確かめている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。