香りの、苦情
香りを愛して入った業界で、香りを減らす日々

ヤヒロカエデ(37歳・香料会社の調香師15年)

柔軟剤やシャンプーの香りを設計する仕事を、十五年続けている。世間が「いい匂い」と呼ぶものの、配合表を知っている人間だ。けれど近ごろ、私の机に届くのは新しい処方の依頼ばかりではない。「香りがきつい」という苦情の報告書が、年々厚くなっている。いい香りを作ってきたはずの私が、いまは香りを減らす仕事に追われている。

香害、という言葉がいつのまにか定着した。柔軟剤や芳香剤の香りで頭痛や吐き気を訴える人がいる、という話だ。最初は遠い世界の言葉だと思っていた。けれど消費者相談の窓口から回ってくる声は、確かにそこにある。電車で隣の人の柔軟剤で気分が悪くなった。職場の同僚の香りで仕事にならない。学校に行けなくなった子がいる。香りは、誰かにとっては毒なのかもしれない、と私は思うようになった。

不思議なのは、同じ製品が「ちょうどいい」と「きつい」に真っ二つに割れることだ。報告書の同じ柔軟剤に、満足の声と苦痛の声が並んでいる。嗅覚には個人差がある。ある合成香料を強烈に感じる人と、ほとんど感じない人が、同じ電車に乗っている。さらに厄介なのは慣れだ。毎日同じ柔軟剤を使う人の鼻は、その香りに疲れて、だんだん感じなくなる。嗅覚疲労という。本人は「ほのかに香る程度」のつもりで、隣の人にとっては部屋いっぱいの霧になっている。香りをめぐるすれ違いは、たいていここから始まる。

だから近ごろ依頼が増えたのは、足し算ではなく引き算の処方だ。無香、あるいは微香。けれど「香らない」を作るのは、香りを作るより難しいときがある。原料そのものに匂いがあるからだ。界面活性剤の油っぽい匂い、樹脂の匂い、容器の匂い。何も足さなければ、その素の匂いがむき出しになる。だから無香の製品にも、その匂いを覆い隠すための香料——マスキング——がそっと入っていることがある。「無香」は「香料ゼロ」を必ずしも意味しない。香りを消すために香りを使う。入社一年目の私が聞いたら、きっと混乱したと思う。

微香の処方は、綱渡りのようだ。トップを抑え、残香を切り詰め、それでも素の匂いが立たないぎりぎりの線を探す。配合表の数字は、かつてのように三十も並ばない。ローズを0.3、ムスクを0.1、それ以下。一桁を削るたびに、香りは輪郭を失っていく。私は香りを足す喜びを覚えた人間なのに、いまは小数点以下を削る精度で、香りの消え際を設計している。

先日、ある自治体の公共空間の香りのガイドラインについて相談を受けた。図書館や病院の待合室で、香料をどこまで許すか。線を引いてほしい、という依頼だ。けれど線は引けない。誰の鼻を基準にするのか。最も敏感な人に合わせれば、世界はほとんど無香でなければならない。多数派に合わせれば、敏感な人は締め出される。私は数字の専門家だが、どの鼻を守るかは、数字では決められない問いなのかもしれない、と思った。

社内でも、自社製品の香りの強さの基準を見直す会議が続いている。残香の評価を点数化し、上限を一段下げる。十年前の主力商品の処方を、いまの基準で測り直すと、軒並み「強すぎる」に振れる。かつて「もっと香らせろ、香りが弱いと売れない」と言われて作ったものを、いまは自分の手で薄める。市場が、香りを欲しがる時代から、香りに気をつかう時代へ静かに移っていく。その移り変わりの真ん中に、私の配合表は置かれている。

香りを愛してこの業界に入った。すれ違いざまの一秒の幸福を、数字で設計できることが誇りだった。それがいま、その一秒が誰かの頭痛になるかもしれないと知って、私は香りを減らす側に立っている。寂しくないと言えば嘘になる。けれど、香らないように設計することもまた、れっきとした調香なのだ。足すも引くも、鼻のための仕事に変わりはない。香りを消す処方を書きながら、私はそう自分に言い聞かせている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。