ヤヒロカエデ(37歳・香料会社の調香師15年)
柔軟剤の香りを設計している。世間が「いい匂い」と呼ぶものの、私は配合表のほうを知っている。けれど、その配合表が正しいかどうかは、机の上では決まらない。評価室の、六台並んだ洗濯機の前で決まる。香りを評価する仕事は、いつも洗濯から始まる。
評価室の洗濯機は、家庭にあるのと同じ型の全自動が六台。違うのは入れるものだ。誰かが着た服ではなく、誰も着たことのない白い布——標準布を、決められた枚数だけ入れる。皮脂も、汗も、前回の柔軟剤の残りもない布。家庭の洗濯物では香りが正しく測れないからだ。生活の汚れは、香りを実際より良く見せたり、つぶしたりする。だから私たちは、生活からいちばん遠い洗濯物で、生活のための香りを決めている。水温も水量も時間も同じにして、変えていいのは投入する試作の番号だけ。標準コースのボタンを、毎朝同じ指で押す。
洗い上がった布を、三度嗅ぐ。濡れたまま、干して乾いたあと、着てしばらく経ったあと。柔軟剤の香りは、この三度で別の顔をする。私たちはその変化を一本の曲線に描く。濡れた直後にぐっと立ち、乾くと落ち、着てしばらくすると体温でもう一度わずかに持ち上がる。二つ目の、低い山。朝着た服が夕方どう香るかは、この二つ目の山の高さで決まる。私が一日いちばん長く見ているのは、トップの派手な立ち上がりではなく、この夕方の小さな盛り返しのほうだ。
香りを嗅ぐのは私一人ではない。社内で鼻を訓練した評価者が順に同じ布を嗅ぎ、強さ・好ましさ・自然さの欄に点を入れる。点は集めて平均する。一人の鼻はその日の体調に引きずられるから、真ん中の値だけを採る。先月、私はある試作の「自然さ」に高い点を入れた。乾いたあとの落ち方が静かで、いい消え際だと思った。平均は低かった。八人のうち六人が、私には聞こえないわずかな金属臭をその落ち際に拾っていた。私の一票は、真ん中をならす過程で消えた。平均は、こうして一人の鼻を正しく潰す。
競合品を洗う日もある。他社の新製品を買い、標準布で同じように洗って嗅ぐ。他社のラストに残るのは、自社の棚にない種類の合成ムスクだった。番号も処方表もない、結果だけがそこにある香り。私は乾いた布を鼻に当てて、この一本がどう組まれているかを、後ろ向きに数字へ戻していく。人さまの洗濯物から逆算するのが、私の仕事だ。
試作には番号がつく。棚には似た小瓶が何十本も並び、ラベルには番号だけが刷ってある。香りは隣どうしでほとんど区別がつかない。頼れるのは番号だ。一桁読み違えれば、昨日落とした処方をもう一度洗うことになる。曖昧だと思われている香りの世界の真ん中に、番号という、どこまでも事務的なものが立っている。
休日、自分の家で洗濯をする。担当した柔軟剤を使うかどうか、洗剤の棚の前で少し止まる。結局は使う。干したタオルに顔を近づけ、二つ目の山がちゃんと出ているかを確かめる。確かめてから、確かめてしまったことに気づく。休みの日の、誰のためでもない洗濯物の前でも、鼻は同じ曲線を読んでいる。
評価室に戻り、洗濯機の前に立つ。標準布が水を吸い、六台が同時に回り始める。誰も着ない白い布が、誰かの一日の香りになるための数字を、いま洗い出している。私は今日も、その音を聞いている。