本の箱は、小さく
作業員一年目、重さで家を読みはじめるまで

ヤナギダコウスケ(38歳・引っ越し作業員16年)

引っ越しの仕事を十六年続けている。研修の初日、先輩が最初に教えてくれたのは、養生の仕方でも台車の押し方でもなく、たった一つの原則だった。「本は小さい箱に、衣類は大きい箱に」。理由は簡単で、本を大きい箱に詰めると、人間ひとりでは持ち上がらない重さになるからだ。重さを箱の大きさで割って、運べる単位にする。それが、この仕事の最初の知恵だった。

段ボールには二種類ある。小箱と大箱だ。会社のものは、小箱が三十五センチ角ほど、大箱はその一・五倍はある。新人のころは逆に詰めたくなる。大きい箱に重い本をたくさん入れたほうが、箱の数が減って効率的に見えるからだ。けれど一度それで腰をやられかけると、原則の意味が腕で分かる。大箱に本を詰めるのは、自分への罠を作ることなのだ。

二〇一〇年、二十二歳の春。私の初めての現場は、市内の古い一戸建てだった。階段は十四段、踊り場で一度折れる、よくある造りの家。見積もりの担当者が「本が多めです」とだけメモを残していた。多め、という言葉がどれくらいの量を指すのか、当時の私には見当もつかなかった。

二階の書斎に入って、息をのんだ。壁という壁が本棚で、床にも本が積み上がっていた。私たちは黙々と小箱を組み立てた。詰めて、ガムテープで閉じて、油性ペンで「本/書斎」と書く。一つ、また一つ。数え終えたとき、本だけで小箱が四十個あった。衣類の大箱が、家じゅう合わせて十二個だったのに。

その四十個を、二階から一階へ、十四段の階段を使って下ろしていく。一箱が、米袋ほどの重さだった。三往復もすると、腕が自分のものでなくなる。けれど不思議なもので、運びながら私は、この家の人のことを考えていた。これだけの本を、十年か、二十年か、少しずつ買い集めてきた人がいる。その時間の総量を、私はいま、腕の重さとして受け取っているのだ、と思った。

トラックへの積み込みにも順序がある。重い物が下、そして奥。本の小箱を荷台の床にびっしり並べ、その上にようやく衣類の大箱が乗る。冷蔵庫や洗濯機は最後、出口の近くに。荷台は、新しい家で物を出す順序の、ちょうど逆に組み立てられていく。私たちは荷物を運んでいるのではなく、新生活の希望を一台のトラックに積んでいるのかもしれない、とそのとき思った。

新居で最初に開ける箱は、たいてい決まっている。台所のもの、あるいは寝具だ。その晩を暮らすために要る物。本の箱は、いちばん最後まで開かないことが多い。あの書斎の四十個も、新しい家の隅に積まれたまま、私たちが帰るときにはまだ閉じられていた。あの人は、いつあれを開けたのだろう。たぶん、何日もかけて、一箱ずつ。

あの日から、私は箱の重さの観察者になったのだと思う。家財には、その家の人の人生の重心がある。本の家、食器の家、衣装ケースの家。重さの偏りが、その人が何に時間を使ってきたかを静かに語っている。十六年、私は数えきれない家を空にして、別の場所に組み立て直してきた。そのどれもが、腕に違う重さを残していった。

いまでも、「割れ物」と書かれた箱より、何も書かれていない軽い箱のほうが緊張する。割れ物なら、扱い方が決まっている。けれど中身の分からない軽い箱は、どう持てばいいのか分からない。あの本の四十個が、私をいまの私にしてくれた。重さを通して家を読むことを、私はあの古い一戸建ての階段で覚えたのだ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。