養生の、青
建物が一時間だけ、青くなる朝

ヤナギダコウスケ(38歳・引っ越し作業員16年)

朝のマンションは、まだ静かだった。私たちはトラックを荷捌き場に着け、まず家財には触れない。最初にするのは、建物に触れないための準備のほうだ。共用部に養生を入れる。エレベーターの内側、廊下の角、玄関ドアの枠。それを巻き終えるまで、箱は一つも運ばない。引っ越しという仕事は、運ぶより先に、覆うことから始まるのだと思う。

養生材は二種類を使い分ける。床にはプラベニヤ。プラスチックの段ボールのような板で、台車の車輪と踵から床を守る。壁や柱の角にはキルティング、毛布のような厚い当て布を回して、養生テープで留める。エレベーターの中は、三方の壁をキルティングで覆い、床にプラベニヤを敷く。青い板と灰色の布で、箱の通り道がひとつ、建物の中にできあがっていく。

共用部を使うには、許可が要る。前日までに管理組合へ届けを出し、当日は管理人が立ち会う。エレベーターを一台、作業のあいだ占有する。住人用の一台を私たちが独り占めにするのだから、当然、気まずさのようなものが胸をよぎる。管理人は鍵を持って黙って横に立ち、私たちが養生を巻く手つきを、静かに見ている。その視線の中で、私はいつもより丁寧にテープを留めるのだった。

養生を巻き終えると、原状の写真を撮る。エレベーターの壁、廊下の床、ドアの枠。傷がないことを、運び込む前に記録しておく。養生は傷をつけないためのものだが、写真は、傷をつけていないことを証明するためのものだ。守ることと、守ったと示すこと。引っ越し屋の朝は、その両方を同時に始める。スマートフォンのシャッター音が、誰もいない廊下に小さく響いた。

箱を運び始めると、住人とすれ違う。出勤の時間だ。エレベーターを占有しているこちらに、隣の部屋の人が会釈をくれる。私は「おはようございます、ご迷惑おかけします」と頭を下げる。挨拶のタイミングは難しい。早すぎても遅すぎてもいけない、相手がこちらに気づいた、その一瞬を捉えなければならないのかもしれない。重い箱を抱えたまま下げる頭は、いつもより浅くなってしまう。

青い通り道を、箱が往復する。プラベニヤの上を台車が走り、キルティングの角を箱の縁がかすめる。本来なら傷になるはずの接触を、青と灰色が全部受け止めていく。建物は、私たちのために一時間だけ、よそ行きの顔をやめてくれている。傷ついてもいい場所に変わってくれている。その寛容さに、私はいつも少しだけ救われるような心地がした。

運び終えると、剥がす。テープを引くと、ビリ、ビリ、と乾いた音が廊下に連なる。キルティングを外し、プラベニヤを上げ、テープの粘りが壁に残っていないか指でなぞる。剥がしたそばから、建物は元の顔に戻っていく。青が消えて、灰色が消えて、さっきまで何かが起きていた廊下が、何も起きなかった廊下になる。私たちが来た痕跡は、テープのゴミ袋ひとつに畳まれて、トラックに積まれる。

最後にもう一度、写真を撮る。来たときと同じ角度で、同じ壁を。二枚を並べれば、何も変わっていないことが分かる。傷ひとつ増えていない。管理人が頷いて、エレベーターの鍵を回収する。住人にとっては、ただエレベーターが一時間使えなかっただけの朝。私たちにとっては、一軒分の家財が動いた朝。同じ建物で、二つの朝が、何事もなかったように重なっていた。

痕跡を残さないことが、引っ越し屋にとっての最高の仕事なのだ。覆い、運び、剥がし、何もなかった顔に戻す。私たちが上手であればあるほど、私たちがそこにいたことは消えていく。それでいい。建物に何も残さず、家財だけを別の場所へ移す。十六年、私はそうやって、自分の仕事の痕跡を、毎回ていねいに消し続けてきたのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。