ヤシマフウタ(41歳・選果場オペレーター19年)
シーズンが始まる前に、会議がある。出荷部会の会議室の、口の字に並べた長机。農家側に部会長と各支部の代表、向かいに農協の販売担当、私は端の選果場の席にいる。机の真ん中は、わざと空けてある。果物が一個も流れていないうちに、今年の桃をどこで秀に入れ、どこで優に落とすか、その線を決める会議だ。手元には去年の基準表のコピーがあって、まだ誰も開かない。
最初に、戻りの報告が読まれる。市場から農協に来たクレームを、担当が一枚ずつめくる。「八月の二週、秀のなかに、肩の張りの足りないものが混じっていたと、大田の仲卸から指摘」。戻りの報告というのは、私たちが秀と判じた箱が、市場の目では秀ではなかった、ということだ。線の引きかたが甘かったと、数字でなく文章で言われる。
八月の二週。私は思い当たる。あの週、玉伸びの悪い農家の桃が続いて、肩の薄いのを何度か秀のボタンで送った。一個ずつは迷ったが、列は止められない。あれが大田まで行って、仲卸の手のひらに乗って、戻ってきた。報告の一行のなかに、私の指が押した何個かが入っている。担当はもう次の紙をめくっている。私はその一行を、自分の手の側に引き取った。
言葉だけでは決まらない。農家の代表が、貯蔵の効く晩生の見本と、今年の走りの早生を発泡スチロールから出して、机の真ん中に並べる。指で肩を押し、尻のへこみを見て、手のひらで重さを量る。「肩の張り」と口で言っても人ごとに違う。だから一個を机に置いて、これより下は優、と決める。基準は文章ではなく、この一個の桃のかたちで合わせる。去年の下限の隣に今年の候補をもう一個置いて、どちらを下限にするかを、玉のできと相談しながら決めていく。
豊作の年と不作の年では、同じ線は引けない。量の出る年は秀の数も増えるから、線を少し上げて秀を締めないと、市場で秀が値崩れする。不作の年は玉が小さくとも線を下げて、農家の手取りを守る。基準は固定された真理ではなく、その年の畑のでき次第で動く約束だ。机の上の下限の桃は、毎年、置き直される。
今年は、新しい品種が一つ入った。部会長が育成を進めていた黄肉の桃で、市場に前例がない。前例がないとは、参照する去年の基準が一行も無いということだ。机の真ん中に五個並ぶ。手に取ると、いつもの白桃より硬く、押しても戻りが鈍い。これは未熟なのか、もとからこういう肉質なのか、誰も知らない。さびが尻のまわりに薄茶で出ているが、これを傷とみるか品種の地肌とみるかで、線の位置が丸ごと変わる。糖度計を一個に刺すと十三度。白桃なら堂々の秀だが、酸が高いのか、口に入れると甘さの出かたが違う。数字は秀でも、舌は秀と言わない。部会長が一個を長く手のひらで転がして、「これを真ん中の優にしよう。さびは地肌で許す。来年、戻りを見て直す」と言った。前例の無い果実に、最初の線が一本、迷いごと引かれた。
会議で決まった基準は、紙一枚にまとまる。「秀:糖度十二度以上、肩の張り良好、さび最大径五ミリ未満」。たった数行だ。私の仕事は、この数行を、毎時千五百ケースのラインの上で、一個ずつの判定に変えること。会議室では言葉だった「肩の張り良好」を、流れてくる桃の上で、〇・五秒で決める。
会議のあと、選果場で説明会をやる。シーズンだけ来る選果員を集めて、机に決まった現物を並べる。「これが秀の下限。これは肩が足りないから優」。口では伝わらないから、現物を回す。十人が同じ桃を手に取り、同じところで優に落とすまで、目を揃える。机の真ん中の、たった一個の下限の桃。それと、その年に流れる何十万個。八月の二週に戻ってきたあの一行も、もとはこの机の一個から始まっていた。