ヤシマフウタ(41歳・選果場オペレーター19年)
選果場で十九年、果物を等級に分ける仕事をしている。農家が軽トラで運んでくる桃やみかんが、ラインの上を流れていって、秀・優・良の箱に分かれていく。その分かれ目に、機械と、人の目と、私がいる。朝、シャッターを上げると、もう外に軽トラの列ができていることもある。果物には待つということができないから、私たちはいつも、果物の時間で動いている。
ラインの真ん中に、光センサーの帯がある。果物が一個ずつそこを通ると、光を当てて、跳ね返ってきた光から糖度を読む。切らずに、傷つけずに、中身の甘さがわかる。内部の障害——蜜の入りすぎや、見えない傷み——も、同じ光が見ている。初めてそれを見たとき、果物が一個ずつ自分の中身を白状していくようで、農家の汗の結晶が数字になって流れていくのを、ただ見ていた。
二〇〇七年、二十二歳で農協の選果場に入った。最初の品種は桃だった。場長は寡黙な人で、あまり多くを語らなかったように思う。配属の朝、検査台の前に私を立たせて、こう言った。「機械は糖度を測る。だがキズと色は最後は目だ。機械を信じて、機械を疑え」。意味がわかるまでに、ずいぶんかかった。
センサーは糖度を数字で出す。けれど、表面のかすり傷や、日焼けで色が乗りきっていない肩のところは、光の数字には出てこないことがある。だから帯を抜けた果物は、最後に人の目が並ぶ検査台を通る。私はそこに立って、流れてくる桃の、機械が見なかった面を見る役だった。機械が見るのは中身、目が見るのは見てくれ。役割が、はっきり二つに分かれていた。
等級には値段がついている。秀の箱と良の箱では、市場でつく値が違う。だから一個を秀に入れるか優に落とすかは、その果物を運んできた農家の、その朝の値段を決めることでもあった。流れてくる桃の向こうに、受付で見たさっきの農家の顔が浮かぶことがある。あの人の桃を、私はいま良に落とした。そう思うと、手が一瞬遅れる。けれど列は止まらない。果物は待てない。私は顔を消して、また次の一個を見た。
ラインには速度の設定がある。桃のときは遅く、柔らかいから優しく送る。みかんのときは速く、皮が守ってくれるから少し雑でも割れない。同じラインでも、果物が変われば、機械の性格ごと変える。桃のあとにみかんが来る季節の変わり目には、ラインを全部洗って、ローラーの幅も、送る速さも、センサーの基準も入れ替える。品種がリレーのように切り替わっていって、その都度、機械はべつの機械になった。
帯を抜けても箱に入らない果物がある。傷の深いもの、形の崩れたもの。それらは「はね出し」と呼ばれて、別のコンテナに落ちていく。捨てるのかと最初は思ったけれど、はね出しはジュースやジャムの加工場に回されていた。秀になれなかった果物にも、ちゃんと行き先がある。その仕組みのことを、場長はとくに何も言わなかった。ただ、はね出しのコンテナがいっぱいになると、黙ってフォークリフトで運んでいった。
あの配属の朝から十九年がたった。私はいまでも、機械と目の境目に立っている。機械を信じて、機械を疑う。あのとき場長が言った言葉は、ただの仕事の心得ではなかったのだと、いまならわかる気がする。数字で測れるものと、目でしか見えないものの間に立ちつづけること。その境目が、観察するということなのだと思う。機械と目の境目が、俺をいまの俺にしてくれた。今日もシャッターを上げれば、外には軽トラの列が、静かに続いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。