ヤシロカンナ(51歳・クリーニング工場のアイロン職人29年)
表ではプレス機が一枚を数十秒で吐き出していく。その音から離れた工場のいちばん奥に、染み抜きの台がある。私はここで、一枚の染みに十分かける。落ちなければ二十分かける。表の音が二十枚を吐き出すあいだ、私は一枚から動かない。
台に立つライトの首を、私は斜めに倒す。真上から照らすと染みは消える。斜めに当てると、織りの底に沈んだ輪郭が浮く。消える角度と浮く角度の差は、生地が色をどれだけ抱き込んだかの差だ。浮きが濃いほど、染みは古い。私はライトを倒した時点で、その染みに何分かかるかを決めている。
当て布の下の広がりだけで、何の染みかは分かる。コーヒーは縁が茶色く濃くて、中が薄い。醤油は縁を作らず均一に沈む。血は、洗うほど赤から茶へ居座る。受付の伝票には「染み」としか書いていない。だが伝票は読まない。布が先に言う。
薬品はスポイトで一滴ずつ落とす。当て布を下に敷き、染みの上から一滴、叩く。にじみ出た色は、下の白布が吸う。コーヒーなら白布に茶色の輪が出る。血なら薄桃色から始まって、叩くほど赤茶に変わっていく。当て布の色を見れば、あと何回叩けば抜けるかが分かる。私が見ているのは染みではなく、当て布のほうだ。
受付から「落ちますか」と回ってくる。こぼした直後の染みは、まだ生地の上に乗っているだけだから落ちる。日が経つと、色が繊維の一本一本に入り込んで、もう生地の一部になる。染まってしまえば、私の薬品は追いつかない。だから「落ちますか」と聞かれたら、私は布の沈み方を見て、こぼしてから何日経ったかを当てる。落ちるか落ちないかは、その日数で決まる。
抜けきらなかった染みには、札を留める。前は長い詫び状を書いていたが、いまは短い。「コレ以上ハ生地ガ傷ミマス」。手書きで、襟の裏に。詫びの紙のつもりで書きはじめて、途中で気づいた。これは詫びではなく、私がどこで手を止めたかの記録だ。あと三回叩けば抜けたかもしれない。だが三回叩けば、生地のほうが先に薄くなる。札は、染みと生地のどちらを残すかを私が決めた、その線だ。
礼服の襟もとに、白い染みがよく来る。黒地にファンデーション。こぼした日にその人がどんな顔をしていたかは、考えない。考えれば手が鈍る。子ども服には泥と、草の緑が来る。草の緑は繊維の奥に入り込んで、コーヒーの倍は叩いても残る。膝の形に広がった緑を、私は膝の話にしない。緑をどう抜くか、それだけを見る。
礼服の白い染みが、襟の裏にもう浮かなくなった。ライトを真上に戻す。消えている。当て布を畳んで、次のハンガーを引き寄せる。子ども服の膝の緑が、まだ斜めの光に残っている。私はライトをまた倒して、スポイトを取る。一滴、叩く。表のプレスは、もう何十枚を吐き終えただろうか。