ヨブコダイ(46歳・LPガス配送24年)
LPガスの配送を二十四年続けている。軽トラの荷台には、いつも交換用のボンベと、緑色の容器に入った石けん水が積んである。ボンベは火を運ぶ仕事、石けん水は火を漏らさない仕事。この二つは別の仕事のようでいて、本当は一つの仕事なのだと、町の暮らしを支えながら、少しずつ分かってきたように思う。
都市ガスの来ない町がある。山の中腹に家が散らばっていて、道路の下を通る配管が、そこまでは伸びていない。そういう町の台所の火は、誰かがボンベを一本ずつ担いで運ばなければ、つかない。私が運んでいるのは、ガスというより、火そのものなのだと思うことがある。
二〇〇二年、二十二歳でこの販売店に入った。最初に教わったのは、五十キロボンベの担ぎ方だった。腰で持つな、膝で持て、と先輩は言った。階段のある家では、一段ごとに膝を入れて、ボンベを腿に乗せるようにして登る。背中で担ぐのではなく、体全体を一本の梃子にする。この担ぎ方を覚えるのに、ずいぶん時間がかかったように思う。
交換の手順は決まっている。元栓を閉める。古いボンベの調整器を外す。新しいボンベをねじ込む。元栓を開ける。ここまでなら、誰でも数日で覚える。けれど先輩は、最後にもう一つ、必ずやれと言った。接続部に、刷毛で石けん水を塗るのだ。
泡が出れば、そこから漏れている。出なければ、漏れていない。たったそれだけの確認なのに、先輩はこれを省くやつは仕事を分かっていないと言った。「ガス屋は配達じゃない。保安だ。届けた後の安全までがうちの仕事だ」。新しいボンベを置いて帰るのが仕事ではない。火が安全につくのを見届けるまでが仕事なのだと、その日、教わった。
配送は、計画が八割だと言われる。家ごとに、ガスの減り方が違う。冬は風呂と暖房で一気に減り、夏はその半分も使わない。あの家は来週には空になる、あの家はまだ持つ——帳面の数字と、季節と、その家の暮らしを頭の中で重ねて、空にさせないように先回りする。火を切らさないとは、たぶんそういう地味な計算の積み重ねなのだろう。
近頃は、メーターが遠隔で読めるようになった。事務所のパソコンに、どの家がいまどれだけ使っているかの数字が並ぶ。検針のために一軒ずつ回る必要は、もうない。それでも私は、点検のために家へ行く。数字には出ないものがあるからだ。ゴムホースの根元に走った細いひび。年式の古い調整器。「まだ使える」と言うお年寄りに、どう言えば角が立たずに替えてもらえるか——それを考えるのも、たぶん仕事のうちなのだと思う。
大きな地震のあと、都市ガスは復旧まで何週間もかかった。配管を一本ずつ点検しなければ、火を通せないからだ。けれど私たちは違った。ボンベごと運べる。火を、機動力ごと運べる。配管を持たないことが、あのときばかりは強みになった。担いで坂を登るだけのこの仕事に、そういう意味もあったのかと、少し誇らしく思ったものだ。
あれから二十四年。何本のボンベを担いだか、もう数えていない。けれど私は、最後の泡を見届ける人間であり続けた。配送とは火を届ける仕事だと思われがちだが、本当は、火が安全につくのを最後まで見る仕事なのだと、いまでは思う。あの日、先輩が教えてくれた石けん水の泡が、私をいまの私にしてくれた。軽トラの荷台の緑の容器は、今日も静かに揺れている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。