ヨブコダイ(46歳・LPガス配送24年)
突き上げる揺れがあって、荷台で空のボンベが鳴った。固定の鎖の中で、十六キロが暴れる音だ。揺れが収まって、私が最初に考えたのは、各戸のメーターのことだった。担いで坂を登るのが私の二十四年の仕事だが、その日からしばらく、私の仕事は止まった火を戻す仕事になった。
事務所の電話が鳴り止まなくなった。「ガスが出ない」。けれど、出ないのには理由がある。マイコンメーターは、大きな揺れを感じると自動でガスを止める。地震のとき火が燃えていたら火事になるから、揺れたら、まず止める。これは安全のための設計だ。出ないのは故障ではない。設計どおりに止まっているのだと、私は一軒ずつ電話口で説明した。
止まったガスは、たいてい自分で戻せる。メーターの正面に黒い復帰ボタンがある。「カチッと音がするまで押して、それから三分、何も触らずに待ってください」。同じ手順を、何十回も案内した。自分で戻せるように作ってある。これも設計だ。そう作っておかないと、私たちが全戸を回るには何日あっても足りない。設計が、私の足の代わりに各戸へ先回りしている。
それでも、戻せない家がある。ボタンの場所が分からない。手が震えて押せない。そういう家を、私は名簿の順に回った。名簿は、一人暮らしの高齢の方から印がついている。安否確認と、復帰を兼ねた巡回だ。三軒目の家は、叩いても返事がなかった。新聞受けに二日分が溜まっていた。私は隣に声をかけ、合鍵を預かっている民生委員の名を聞いて、その場から電話した。ガスの復帰は、その人の無事の次だった。名簿の三軒目は、横線を引かずに置いた。
戻す前に、設備を見る。これを省くと、止めたものをまた流すことになる。揺れでボンベがずれていないか、鎖が外れていないか、配管の継ぎ目が緩んでいないか。ずれたボンベは配管を引っ張って、継ぎ目を傷める。石けん水を塗って、泡が出ないのを確かめる。出ないのを確かめてから、復帰ボタンを押す。順番は飛ばさない。確かめてから戻す。
避難所にも行った。体育館の隅に炊き出しの場所ができて、そこへボンベを運び、コンロをつないだ。元栓を閉め、調整器をつなぎ、石けん水を塗って泡が出ないのを確かめてから、火を点けてもらう。坂の家でやるのと、同じ手順だ。導管がなくても、火はそこで燃える。担いで運べる仕事が、その隅で出番を得ていた。
私の町に火が戻ったあとも、峠を越えた都市ガスの町は、夜になると暗いままだった。導管を一本ずつ点検しないと通せないから、その明かりが戻るまで、あと幾日かかかった。配管を地面に埋めた町は、その配管が直るまで待つしかない。ボンベの町は、ボンベごと運べばその日に戻る。あの夜、峠のこちらと向こうとで、灯りの数が違っていた。
戻した家には、名簿に横線を一本引く。きょうは何軒、あすは何軒。線が増えるたびに、町に火が戻る。返事のなかった三軒目に線を引けたのは、その人が親戚の家から戻ってきた、十日あとだった。最後の一軒に線を引いて、私は名簿を閉じた。担いで登った坂を、その日は名簿だけ持って降りた。