点検の、台所
四年に一度、家に上がる数十分について

ヨブコダイ(46歳・LPガス配送24年)

ボンベを担いで坂を登るのが、私の二十四年の仕事だった。けれど四年に一度、私は荷台に何も担がず、手ぶらで家のドアを叩く。法定の点検というやつで、ガス屋が客の台所に上がり込む、あの数十分のことを書いておきたいと思う。火を運ぶ仕事と、火を見届ける仕事は、本当は一つの仕事なのだと、その数十分の中でいつも思い知らされるからだ。

点検の通知は、まず葉書で出す。「ガス設備の法定点検にお伺いします」。それから電話で在宅を確かめる。在宅の調整、というのが意外に難しい。ガス屋が家に上がるというのは、客にとっては小さな構えのいる出来事らしい。台所を片づけ、人によっては茶を出す支度までして待っている。こちらは数十分で済む仕事なのに、向こうは半日を空けてくれていたりする。その時間の差を、私はいつも申し訳なく思いながら靴を脱ぐ。

上がってまず見るのは、コンロ裏の配管とゴム管だ。ゴム管はホースバンドの食い込む際から先に傷む。ねじれていないか、ひびが入っていないか、接続が緩んでいないか。コンロを少し引き出して、裏側に手を入れる。指の腹で、ゴムの硬さを確かめる。古いゴムは、押すと弾力が死んでいる。台所の裏側というのは、その家の台所の本当の年齢が出る場所なのかもしれない。

次に天井を見上げる。ガス警報器には五年の交換期限がある。本体の側面に交換期限が刷ってあって、それを過ぎたものは、鳴るべきときに鳴らないかもしれない。台所の天井の隅で、小さな機械が五年、黙って空気を嗅いでいる。期限の切れたそれを外して新しいものに替えるとき、私はいつも、この小さな機械に見守られて過ぎた家族の五年を思う。

点検簿に印を入れながら、コンロに火を点けてもらう。炎の色を見るためだ。きれいな青い炎なら、よく燃えている。赤い炎、あるいは黄色い先のゆらぐ炎が出ていたら、不完全燃焼を疑う。空気の取り込みが足りないか、バーナーの目が詰まっているか。赤い炎は、台所が出している小さな信号のようなものだと思う。見分けの基本は、青いか、青くないか。それだけだ。

台所には、その家の暮らしが出る。古い housing の一人暮らしの台所は、コンロの片方しか使った跡がない。鍋が一つ、伏せてある。子供の多い家の台所は、シンクに食器が山になっていて、コンロは両方とも油で汚れている。点検簿に書くのは設備の状態だけだが、その向こうにある生活を、私は淡々と見ている。見て、何も言わずに、ゴム管に手を伸ばす。

難しいのは、改善の言い方だ。「危ないですよ」と言えば、客は身構える。脅されたと感じて、かえって替えてくれない。だから私は「直しましょう」のほうから言う。費用の話は、その次だ。「これ替えとくと安心ですわ、何千円かですけど」。危険を売るのではなく、安心を売るように言う。値打ちのある嘘ではない。本当のことを、通る側から言っているだけだ。

すべて見終えると、点検済みのシールを貼る。年月の入った小さなシールを、コンロの近くの、目につく場所に。次の点検は四年後。そのシールを貼って、私は靴を履き、階段を降りる。担いで登った坂を、今日は手ぶらで降りる。次にこの階段を登るのは、四年後の私だ。

火を運ぶのが配送なら、火が安全に燃えているかを見届けるのが点検だ。家に上がるのは、立ち入りではなく保安なのだ。台所の灯を、一軒ずつ守る仕事——四年に一度、私はそのことを思い出すために、手ぶらでドアを叩いているのかもしれない。点検簿の数字の向こうには、いつも誰かの暮らしがある。それを見守るのが、たぶん私の本当の仕事なのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。