ヨドガワアキ(36歳・競馬場の厩務員14年)
馬には、走らない季節がある。使い詰めて疲れた馬、脚を痛めた馬は、しばらく牧場へ放牧に出される。レースに送り出すのとは違う見送りだ。あちらは数時間で帰ってくる。こちらは、何か月か、馬房を空けて出ていく。
放牧に出す朝は、まず馬運車への積み込みがある。これが、馬によってまるで違う。すんなりスロープを上がる馬もいれば、四本の脚を踏ん張って、てこでも動かない馬もいる。コツは、無理に引かないことだ。曳き綱を引っ張れば引っ張るほど、馬は後ろに体重をかける。引くのをやめて、首筋を撫でて、馬が自分で前を見るまで待つ。時間をかければ、たいていの馬は、自分の脚で乗る。私たちにできるのは、決心を急がせないことだけだ。
積み込みが終わると、放牧先への申し送りを書く。引き継ぎ書、と私たちは呼んでいる。この馬は左から触ると嫌がる、青草より乾草を好む、雷の日は飼い葉を残す——そういう癖や好みや注意点を、紙に書いて持たせる。不思議なもので、言葉にして書き出すと、その馬の個性に改めて気づく。毎朝そばにいると当たり前になっていた一頭の輪郭が、一行ずつ、紙の上に立ち上がってくる。
馬運車が出ていったあと、空になった馬房を掃除する。藁を全部かき出して、床を洗って、新しい藁は敷かない。次の馬が来るまでの数日、その馬房はただの空き部屋になる。隣の馬房では別の馬が飼い葉を食っているのに、そこだけ、妙に静かだ。名札を外した壁の、四角く色の違う跡を見ると、毎朝その壁に向かって名前を呼んでいた日々が、急に遠くなる。
そして数か月して、馬が帰ってくる。馬運車のスロープを下りてくる馬体を見るのが、私にとっての再会の挨拶だ。太って帰る馬がいる。のんびり草を食って、競走馬の体ではなくなって戻る。逆に、放牧地を駆け回って、出ていったときよりたくましくなって帰る馬もいる。腹を撫で、肩の筋を確かめ、脚の熱を見る。手のひらが、留守のあいだの数か月を読み取っていく。
もっとも、すべての馬が帰ってくるわけではない。放牧先でそのまま引退が決まる馬もいる。別の厩舎へ転厩していく馬もいる。ある朝、事務所の貼り紙で、もう戻らないと知らされることもある。厩務員というのは、つくづく別れの多い仕事だ。手をかけて、体を覚えて、それでも最後は見送る。十四年、私はいったい何頭を見送ってきたのか、もう数えていない。
帰ってきた馬を、元の馬房に入れる。すると馬は、まず鼻を壁に近づけて、ふんふんと匂いを確かめる。前に自分がいた場所だと、匂いで分かるのだろうか。長いこと留守にしていたのに、何かを思い出すように、馬房の隅々を嗅いでまわる。その仕草を見ていると、こちらまで、ああ帰ってきたんだな、と胸が温かくなる。馬にも、帰る場所というものがあるのかもしれない。
放牧に出し、帰りを待ち、ときには二度と会えないまま見送る。送り出すたびに少し寂しくて、迎えるたびに少し嬉しい。考えてみれば、厩務員の十四年は、見送りと出迎えの繰り返しだったのだと思う。別れの多いこの仕事が、俺をいまの俺に育ててくれたのだ。今朝も、一頭を放牧に送り出して、私は空になった馬房の前に立っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。