冬の、プール
夏の家族が消えて、常連だけが残る季節の監視

ヨコイチカ(34歳・屋内プール監視員12年)

屋内プールにも、冬がある。ガラスの外で雪が降っていても、プールサイドの湿度は変わらない。温水は三十度に保たれ、館内はいつでも常夏だ。それでも、冬は来る。客が連れてくるのだ。夏に消えた家族連れの代わりに、冬は冬の客が水面の上に座っている。

窓の外には冷たい雪が降っていて、プールサイドには塩素の匂いが静かに満ちていた。夏のあいだ水面を埋めていた子どもたちの歓声は、もうない。浮き輪も、ビート板の取り合いも、飛び込み禁止を破る小学生も、十一月の声を聞くと潮が引くように消えていく。残るのは、常連だ。

常連は、毎朝同じ時間に来る。開館は六時半、私が朝一番の水温計を引き上げて確認する頃には、もう更衣室のロッカーが鳴っている。彼らは時計を持たない。彼ら自身が時計なのだ。六時四十分に入水するおじいさんがいて、その人が泳ぎ始めると、ああ六時四十分だ、と分かる。腕時計よりも正確だと思う。

冬のプールには、暗黙の地図がある。第一コースは速い人、第五コースはゆっくり歩く人。誰も決めていないのに、全員が知っている。新しく来た人がうっかり速いコースに入ると、後ろから来た常連がすっと隣を抜けていく。言葉はない。けれど次の周、その新人は静かに端のコースへ移っている。コースロープ一本の向こうに、目に見えない縄張りがある。

朝、私は彼らより先にプールサイドに立つ。コースロープを張り替え、たわんだ箇所のフックをかけ直す。水温を測り、塩素の濃度を確かめる。誰もいない水面は、鏡のように静まりかえっている。その静けさを、私はしばらく見ていた。一日のうちでいちばん好きな時間だ。

けれど、冬の監視は夏より気が抜けない。客が減って静かになったぶん、リスクの質が変わるからだ。夏は溺れを見る。冬は、別のものを見る。同じコースを毎日泳ぐ高齢の常連の、いつもと違う止まり方。プールの端で手をかけて、長く息を整えているとき。温水と冷たい外気の落差は、心臓に静かな負担をかける。賑やかな夏の溺れより、静かな冬の異変のほうが、見つけるのは難しいのかもしれない。

ジャグジーは冬がいちばん混む。泳ぎ終えた常連たちが、湯気の向こうで肩を寄せて喋っている。見学席には、孫の習い事を待つ祖父母が毛布を膝にかけて座っている。客が運んでくる水着とタオルの色だけが、季節を知らせる。夏は派手な柄が多く、冬は地味な紺や黒が増える。季節を失った場所に、客のタオルだけが季節を持ち込んでくる。

年末、最後の営業日には、休館の貼り紙がエントランスに出る。十二月二十八日まで、新年は六日から。常連たちは泳ぎ終えると、更衣室の前で「よいお年を」と言い合う。一年間、ほとんど言葉を交わさなかった人たちが、その日だけは挨拶を交わす。私にも「よいお年を、監視員さん」と声をかけてくれる。名前は知られていない。けれど、座っている人として、覚えられている。

季節を失った場所にも、季節は来るのだ。雪はガラスの外で降り、湿度は今日も変わらない。それでも、客の運ぶタオルの色が変わり、年の瀬の挨拶が交わされ、新しい年が水面の上にやってくる。私はその全部を、水面より少し高いところから見ている。常夏の中の冬を見ることが、十二年でようやく分かるようになった、私の仕事なのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。