※本エッセイおよび本レビューは すべて創作 です。登場する条文・人物・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織・法令とも関係ありません。
初稿を読んだ。「テン/マル/コッカ/カタカナのニ」という素材は 素材として極めて強い。読者が見たことのない、しかし聞けば実在を信じる、職能の内側の言葉。これだけで7割は勝っている。
残り3割で、第一稿は素材に頼りすぎ、書き手の身体と思考の運動が痩せている。とくに後半の「逆ポエマイゼーション」「人間が法律の前で対等」という主題説明が、立派すぎる声で語られていて、書き手アサオ カナエの背中が見えなくなる。外科的に削る/差し替える。
強み
弱点(以下、個別に指摘する)
二章末尾「制度には、決められた部分と、決められなかった部分がある。決められなかった部分は、現場の身体に宿っている」。
美しい一文だが、参事官の「慣習でしょう」の笑いの直後にこの命題を貼ると、場面の温度を、書き手が言葉で奪う形になる。せっかくの「笑った」を、概念で上書きしてしまう。
処方:この格言段落をまるごと削る。「慣習でしょう」と参事官が笑った、で章を閉じる。読者は格言を受け取らない代わりに、笑いを覚えて次に進む。
四章末「これを6時間続けると、終わるころには、私は『お茶を、ハにマルとなしむ』と、家のリビングで言ってしまうようになる」。
「ハにマル」は確かに半濁点(パ)のことだが、「お茶を…たしなむ」を「お茶を、ハにマルとなしむ」と置換するのは、例として捻じれている。実際にはそういう発話は起きにくい。「(た)し(な)む」の「し」を「シ」と読み上げているわけでもないし、現実の混入のしかたではない。
処方:例を差し替える。家庭で起きる現実的な混入は、たとえば「お茶テン飲む?」のような句読点側の混入。半濁点側は、署名するときの「『パ』、ハにマル……」と紙に書く瞬間の独り言などに限定される。第一稿の四章末をまるごと、第七章「テン早いから」のシーンに統合してもよい。半濁点の身体的混入は、無理に作らず削る。
五章末「意味を消すために、声を出す。これは、私が公務員になって最初に教わった、いちばん奇妙な技法だった」。
所感としては正しいが、「いちばん奇妙な」というラベルが、書き手の経験を一言で総括してしまう。読者は「奇妙」をすでに前段で感じているので、その感覚を先回りで言語化されると、感覚が冷める。
処方:「いちばん奇妙な技法だった」を削り、その手前の「意味を消すために、声を出す」だけで章を閉じる。または、章全体を一段地味にし、「教わった」と書かず、「気づいた」「やってみた」程度に。
六章は本作の主題説明。四段落使って、「ポエムは膨らます/法令は閉じる」「両者とも機械化する」と整理している。
整理は機能している。けれど、「機械化」が4回(4段落のうち3段落で登場)出てきて、概念のレバーが反復で摩耗する。「感情の機械化」「意味の機械化」「声の機械化」と、すべて並列で展開すると、修辞的に説教調になる。
処方:機械化を1回に絞る。あるいは「機械化」という語を一度も使わずに、ポエムと法令の方向の違いを示す方が、書き手の知性が見える。例:「マンションポエムは、書き手が消えても言葉が膨らむ装置だった。法令読み合わせは、書き手が消えるまで言葉を絞り込む装置だった。同じ消え方ではない」など。
七章「同居人が、台所で皿を洗いながら」。同居人は、配偶者か、恋人か、親か、ルームメイトか。第一稿では一切示されない。
意図的な匿名化だとしても、関係が不明だと、書き手の人生像がぼやける。「会議室の声を、家でほどく」というシーンの感情の質は、相手によって変わる。配偶者ならば「あ、また仕事の言葉だ」と笑い飛ばす。母なら「もう、ちゃんと休みなさい」と心配する。ルームメイトなら「テン?」と困惑する(第一稿はこれっぽい)。
処方:一語で示す。「ルームメイトのアズミが」程度の固有名詞か、「配偶者が」「妹が」程度の関係明示。匿名化を保つなら、「(同居しているのは、大学時代の友人だ)」のような括弧書きの一文を挿入。
最終章:「機械化された声の向こう側に、誰かの権利と、誰かの義務がある。そのことだけは、忘れないようにしている」。
これは 公務員研修のスライド のような声で書かれている。書き手アサオ カナエは元職員だが、いまは大学院生で、現場を離れて少し距離がある。距離があるなら、もっと曖昧でいい。「忘れないようにしている」は、現役職員の誓いの口調で、退職者の声には合わない。
処方:「権利と義務」の段落と「忘れないようにしている」を削る。最終段落「いまでも、たまに、『テン』と言ってしまう」だけを残し、その手前で着地する。教訓は読者の側に渡す。
本作の「私/私の」は通算20回前後。一人称エッセイとしては多くないが、三章・五章・八章で局所的に集中しており、書き手の自我が前に出すぎる箇所がある。
処方:三章「これは、誤字発見の装置でもある」以下の3つの「私は」を、主語省略に。五章「私が公務員になって最初に教わった」を「公務員になって最初に教わった」に。八章は前項の処方で大半削るので併せて減る。
リードでは、会議室に入る場面が詳細に描かれている(A4の積み上げ、長机、三人で囲む)。けれど、会議室を出る場面が描かれていない。七章でいきなり「家に帰ってシャワーを浴び」になる。
夜中1時近くに会議室を出る瞬間は、本作の感情の山として強い候補だ。机の上に山を残したまま帰るのか、片付けて帰るのか。エレベーターの暗さ、夜の霞ヶ関の街灯、タクシーか終電か。一つでもいい。
処方:七章の冒頭に2文だけ追加。「夜中1時前、会議室を出た。机の上の条文案は、参事官が片付けると言って、私を先に帰した。」のような、出る瞬間の所作を1段落入れる。
削る:二章末の「制度には決められた部分と」の格言段落、四章末の半濁点の家庭混入の例、五章末の「いちばん奇妙な技法」、六章の「機械化」反復、八章の「権利と義務」「忘れないようにしている」段落。
足す:七章冒頭に会議室を出る所作(2文)、同居人の関係を一語で(できれば名前か関係名)、六章の「機械化」を別の比喩に。
保つ:リードの「テン、テン、テン」、二章「カッコ/コッカ」の倒置説明、三章の字種比較例、五章の「読み合わせは、読まないことに似る」、七章のリビングのテン、最終行「会議室の声が、まだ少しだけ、残っている」。
タイトル『読み合わせ——テンとマルとコッカの声、その逆ポエマイゼーション』は据え置き。第一稿・第二稿で共通。
レビュアー・横山研編集部(タナカユウジ+ハヤシアヤカ+ソノダマリの連名)