ヨネクラギン(70歳・配置薬の営業47年)
配置薬を四十七年やってきた。鞄には薬のほかに、もうひとつ、ずっと入れているものがある。紙風船だ。赤と黄と緑の紙を貼り合わせた、掌に乗る小さな玉。昔の置き薬屋は、みなこれを持って家々を回った。子どもへの土産であり、「また来ます」という符丁でもあった。
紙風船には、膨らませ方にこつがある。小さな穴に唇をあてて、一息で吹き込もうとすると、紙がへこんで戻らない。最初はそっと、息を細く長く送る。皺の角が立ってきたら、あとは掌で軽く受けて、ぽん、と整える。子どもの前でこれをやってみせると、たいてい目の色が変わった。薬の話より先に、まずこの一球だった。
しまい方も決まっている。空気を抜いたら、貼り合わせの角を揃えて、もとの折り目に沿って畳む。雑に畳むと、次に出したとき皺がよじれて、きれいに膨らまない。私は鞄の右側、帳面の隣の決まった場所に、五枚ほどをいつも入れている。湿気でくっつかないよう、薄紙に挟んで。四十七年、ずっとそうしている。
昭和のころは、紙風船こそが置き薬の顔だった。玄関で潰して、ぽん、と戻す音がすると、奥から子どもが出てくる。その子が薬箱の前まで案内してくれる。物をひとつ手渡すことが、そのまま商いの入口だった。あの音は、どの家の茶の間にも、よく似合っていた。
やがて時代が変わった。紙風船は、いつからかティッシュの箱になった。社名の刷られた、四角い箱。子どもは喜ばないが、奥さんが「ああ、助かる」と受け取ってくれる。実用になった分、土産が土産でなくなった気もした。そしてさらに時代が下ると、何も渡さない時代が来た。いまは玄関で薬箱を開け、補充して、帳面を書いて、それで終いの家がほとんどだ。
それでも私は、いまも紙風船を鞄に入れている。くれと言われることは、もうほとんどない。けれど、孫が遊びに来ている家に当たることがある。座敷の隅に、見慣れない小さな靴。そういう日は、潮時を見て一枚出す。ぽん、と音が鳴ると、その家の空気が、すっと昔に戻る。奥さんの顔がほどける。場が変わるのが、こちらにもわかる。
先日、ある家で四十がらみの男の客が、薬箱を引き継いだと言って出てきた。帳面を確かめていると、その人がふと言った。「昔、おたくから紙風船もらいましたわ」。私が配った相手が、大人になって、いまは自分の家の箱を受け取っている。膨らませてやった子が、こうして勘定を払う側に回っている。そういう年月を、私はいつのまにか生きてきたらしかった。
物をひとつ渡すことが営業だった時代は、もう古いのかもしれない。ティッシュも配らず、効率よく補充だけして帰るのが、いまのやり方なのだろう。それでも私は、あの一息でそっと吹き込む手間が、嫌いになれない。紙風船は、ただの土産ではなかった。あれは、また来ますという約束を、子どもの掌に預けておく商いの心だったのだ。
四十七年で、私は数え切れないほどの紙風船を配ってきた。膨らませた数だけ、ぽんと鳴った音がある。いまも鞄の右側に、五枚が静かに眠っている。出番は減ったが、私はそれを、これからも持って回るのだろうと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。