ヨネクラギン(70歳・配置薬の営業47年)
配置薬の仕事を四十七年やってきた。置き薬ともいう。先に薬箱を客の家に置き、使った分だけを後から集金する。先用後利という、江戸の富山から続く商いである。私は薬を売っているのではない。薬箱を、人の家に置かせてもらっているのだ。
会社に入ったのは一九七九年、二十三歳の年だった。最初の半年は先輩について回り、帳面の付け方と、紙風船の配り方を覚えた。子どものいる家に上がると、まず紙風船をひとつ、土産に置く。昔はどこの配置員もそうしていた。薬を売る前に、まず家に馴染む。そういう商いだった。
初めて一人で得意先を回ることになった朝、先輩が言った言葉を、私はいまでも覚えている。「箱を開けたら、まず使った薬を見ろ。胃腸薬が減ってる家は無理をしてる。風邪薬が減ってる家は子どもがいる。何も減ってない家が、一番心配だ」。そのときはまだ、意味がよくわからなかったのだと思う。
その日は、よく晴れた日だった。夕方には田舎道が一面の夕焼けに染まって、私は自転車を漕ぎながら、しばらくそれを眺めていた。一軒目の家で薬箱を開けると、胃腸薬がごっそり減っていた。補充しながら、私は先輩の言葉を思い出していた。この家は、無理をしているのかもしれない。
集金は、世間話の中でする。減った分を帳面と照らし合わせ、頭の中でそろばんを弾く。胃腸薬が三包、風邪薬がひと瓶、貼り薬が二枚。締めていくらです、と告げるまでの間に、奥さんが茶を出してくれて、嫁いだ娘の話や、田んぼの話をする。薬の代金よりも、その話のほうが、商いの本体だったのかもしれない。
箱はたいてい、茶の間の棚の上にあった。何十年も同じ場所にあるから、箱をどけると、そこだけ畳の色が違う。日に焼けずに残った、四角い島のような色。期限の切れた薬を新しいものと入れ替えながら、私はその色をよく見ていた。箱がそこにあった年月の分だけ、畳が焼けずにいる。家の時間が、そこに溜まっている。
長く回っていると、代替わりに立ち会う。ある家で、若い息子さんが出てきて、「もう箱は要らない」と言った。病院も薬局も近くにできた。それはそうだ。私は箱を引き上げ、帳面のその家の欄に、線を一本引いた。畳には、四角い島が残っていた。たぶん、しばらくは消えないだろうと思った。
使われた薬で、その家の一年が読める。子どもが生まれた家は風邪薬が減り、年寄りが弱ってきた家は湿布が減る。何も減っていない箱は、達者なのではない。医者にかかるようになったか、あるいは、誰もいなくなったか。薬箱は、家の健康日誌のようなものだ。私はいつのまにか、薬を補充する人ではなく、箱を読む人になっていた。
四十七年、私は人の家の薬箱を開け続けてきた。年に数回、決まった季節に訪れて、中身を数える。減った薬を見て、その家の一年を思う。あの初めての日の夕焼けと、先輩の言葉が、私をいまの私にしてくれた。置き薬は、薬を置く商いではない。家の時間を、預かる商いなのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。