ヨシオカマナ(38歳・スーパー青果部15年)
台風が来る前日、消える棚の順番は決まっている。バナナ、パン、卵、カップ麺。私は青果部だから、そのうち青果の棚しか持たないが、隣の棚が空く音まで一日中聞いている。十五年立って、台風を何度もくぐった。順番に再現性があるのは、思いではなく、記録だ。
前日の朝、発注端末を打つ。玉ねぎは普段、一日三ケース。前日の予報を見て、八ケースに上げた。じゃがいもは四ケースを十ケース。りんごも倍。常温で日持ちする物の数字だけを、私は自分の指で跳ね上げた。葉物は逆に下げる。レタスは五ケースから二ケースへ。停電したら冷蔵庫の中で先に駄目になる物を、台風の前日に厚く積む者はいない。
客の手も、同じ理屈で動く。じゃがいも、玉ねぎ、りんご。常温で日持ちする物から、かごに入っていく。葉物は残る。去年の台風の日、私はレタスを二ケース、計二十四束だけ並べた。夕方、数えたら十九束あった。客が来なかった、ではない。来て、見て、二十四束のうち五束しか手に取らなかった——その差が、葉物は要らないと言っている。
入荷便は乱れる。いつも朝六時のトラックが、高速の通行止めを避けて回り、その日は六時四十分に着いた。前倒しで八ケースに上げた玉ねぎが、開店の九時に半分しか棚に出ていない。発注の数字は強気で、便は遅れる。二つの時間がずれたまま、開店のチャイムが鳴る。私は段ボールを抱えたまま、最初の客の手が空の棚に伸びるのを見た。
レジの前に特設台が出る。水とカップ麺と、日持ちする青果を少し。普段は通路の真ん中に置かない物が、いちばん人の流れる場所に積まれる。誰が指示したというより、売場という建物が、来るかもしれない台風の形に、棚の配置を寄せていく。
その日は、夕方になっても見切りシールを一枚も出さなかった。日持ちする物は売り切れ、葉物は残ったが、明日も台風なら売れる。発注端末は、翌日の予報をにらんで、また強気の数字を打っていた。私も、ほかのみんなも、来るはずの台風のために、少しずつ前へ傾いていた。
そして台風は、逸れた。翌朝、予想図の赤い円は海へ流れた。前日に八ケース打った玉ねぎ、二ケースに絞ったはずが結局多く残った葉物。前へ傾いた分が、そのまま在庫になって棚に戻っている。私はその朝、昨日は一枚も鳴らさなかったハンドラベラーを握り、見切りワゴンの前で半額シールを五十三枚貼った。前日に跳ね上げた指と、翌朝にシールを鳴らす指は、同じ私の指だ。
台風が来るかどうかは、私の端末の中では、三ケースを八ケースに変えるかどうかの問題だった。逸れたあと残ったのは、その差の五ケース分だ。不安は、心の中にあるのではない。私が指で打った数字の中にあって、逸れた翌朝、見切りシール五十三枚分になって、ちゃんと手元に残る。