単発エッセイ。同じ中学・高校を出た二人が、お盆の地元のイオンで偶然立ち話をして、その夜、それぞれの場所で「もう片方の影」を抱える。当事者視点で、双方を交互に。
森田光、三十五歳。土曜の午後、地元のイオンの駐車場。
東京から新幹線で二時間半、お盆の帰省、二日目。母親に頼まれて、夕飯の食材を、買いに来た。
駐車場で、見覚えのある顔と、すれ違いそうになった。
「あれ、森田?」
中学・高校の同級生、木村弘樹。後ろから、ベビーカーを押す女性が出てきた。たぶん、奥さん。三歳くらいの男の子が、母親の手を引いている。
「お、久しぶり」
「久しぶり。帰省?」
「うん、お盆だから」
「うちは、五歳と、三歳」
「あー」
それで、立ち話は、終わった。お互いに、また、と言って、別の方向に、歩いた。
私は、買い物カゴを、押した。鮭、卵、豆腐、納豆、母親の好きな煮物の材料。
木村弘樹、三十五歳。土曜の午後、地元のイオンの駐車場。
妻と、五歳の長男と、三歳の次男。フードコートでたこ焼きを食べたあと、夕方の買い物。
駐車場で、見覚えのある顔と、すれ違いそうになった。
「あれ、森田?」と、俺は、声をかけた。
中学・高校の同級生、森田光。一人で歩いていた。手にハンドバッグ。買い物カゴは、まだ、なかった。
「お、久しぶり」
「久しぶり。帰省?」と、森田が聞いた。
「いや、俺は、地元」
「あー、そうだったね」
「森田は?」
「お盆だから、二日くらい」
「うちは、五歳と、三歳」
「あー」
それで、立ち話は、終わった。森田は、店の入口の方に、歩いていった。俺は、自分の車のほうに、戻った。
妻が、ベビーカーから、冷凍コロッケの袋を、ちょっと、出して見せた。「これ、安かったよ」と、笑った。
東京に戻った夜、ベッドの上で、ふっと、木村の顔が、頭に浮かんだ。
ベビーカーの、三歳。
冷凍コロッケを、笑顔で見せている奥さん。
五歳と、三歳。
私の年収は、千二百万。タワマンの賃貸、家賃十八万。土曜の夜は、一人で、ワインを開ける。誰にも、邪魔されない。
それを、私は、選んだ。十八歳のとき、東京の大学を選んだ。卒業後、東京の会社を選んだ。三十歳のとき、結婚しないことを、選んだ。三十二歳のとき、地元に戻る選択肢を、捨てた。
選んだ、と言える。
けれど、木村のベビーカーが、頭から、消えない。
消えないのは、たぶん、嫉妬じゃない。劣等感でもない。優越感でもない。
名前のない、何か。
家に帰った夜、子供たちを寝かせて、リビングで、缶ビールを開けた。妻は、もう寝ていた。
森田の顔が、ふっと、頭に浮かんだ。
ハンドバッグ。買い物カゴ、なし。
一人で歩いていた。
痩せていた。中学のときから、痩せていた、けれど、もっと、痩せていた。
俺の年収は、五百万。地元の建設会社、十年勤続。住宅ローン、月七万。妻と、子供二人。土曜の夕方は、家族で、イオン。
それを、俺は、選んだ。十八歳のとき、地元の建設専門学校を選んだ。二十歳で就職、二十六歳で結婚、二十八歳で長男、三十歳で次男。三十二歳で、家を、買った。
選んだ、と言える。
けれど、森田のハンドバッグが、頭から、消えない。
消えないのは、たぶん、後悔じゃない。劣等感でもない。優越感でもない。
名前のない、何か。
土曜の夕方、銀座のホテルラウンジで、シングルモルトを回す独身男性の話を、ニュースで見たことがある。
土曜の夕方、地方のイオンで、フードコートでたこ焼きを食べる三歳児の話も、同じニュースで、見たことがある。
どっちが、人生の正解か、という議論が、SNSで、ずっと、続いている。
森田と木村は、その議論に、参加していない。けれど、参加しなくても、頭から、お互いの顔が、消えない。
二人とも、自分の選んだ道を、後悔していない。けれど、もう片方の道の影が、夜のベッドの上に、ちょっと、落ちている。
土曜の夕方、地元のイオンの駐車場で、二人は、すれ違いそうになった。
すれ違わなかった。声をかけ合った。立ち話をした。
それで、終わった。
それで、終わったのに、終わらないものが、それぞれの夜の中に、残っている。
→ 第二稿:夕方の、駐車場(v2・書き直し)
→ 研究室4人による建設的批判
← シリーズ目次に戻る
本作は単発エッセイ・第一稿。「自分の人生と違う選択をした人への憧憬」を、当事者視点で双方の視点から書く試み。森田光(35歳・女性・東京の大手広告代理店・年収1200万・独身・タワマン賃貸)と、木村弘樹(35歳・男性・地元の建設会社・年収500万・既婚・子供2人)。中学・高校の同級生。お盆の帰省で、地元のイオンの駐車場で偶然すれ違って立ち話。「お、久しぶり」「うちは、五歳と、三歳」「あー」、それで終わる。けれど、その夜、東京のタワマンで森田はベビーカーを思い出し、地元の家で木村はハンドバッグを思い出す。「消えないのは、たぶん、嫉妬じゃない。劣等感でもない。優越感でもない。名前のない、何か」。両視点で同じ構造の心の動き。「二人とも、自分の選んだ道を、後悔していない。けれど、もう片方の道の影が、夜のベッドの上に、ちょっと、落ちている」。