凍みの、夜
寒天づくり一年目、夜の寒さの観察者になるまで

ユウキコハル(39歳・寒天職人17年)

寒天づくりを十七年続けている。天草を煮て、濾して、ところてんにして、冬の野に干す。夜に凍らせ、昼に融かし、それを繰り返して水分を抜く。凍み、と呼ぶ。フリーズドライの元祖だと言う人もいる。私はこの仕事に入った年の冬に、ひとつだけ、いまも忘れられないことを教わった。

二〇〇九年、二十二歳の冬だった。寒天の産地の製造所に入った。煮釜からは、海の匂いと草の匂いの混ざったような、なんとも言えない香りが立ちのぼっていた。天草を煮る匂いだ。湯気が天井の梁まで届いて、自然の恵みがそのまま湯気になっているようだった、と思う。

煮上がった液を濾して、型に流すと、冷えてところてんになる。それを天突きで突き出す。木の箱に太いところてんを入れて、押し棒で押すと、格子から細い糸になって出てくる。最初は力の加減がわからず、途中で詰まらせてばかりいた。親方が代わると、同じ道具なのに、すうっと、迷いなく出てくる。

突き出したところてんを、干し場の棚に並べていく。何段にも組まれた木の棚が、野原に向かって果てしなく続いている。そこに細いところてんを、一本一本、丁寧に渡していく。冬の日差しが棚の上で白く反射して、まるで雪原のようにきれいだったように思う。

その日の夕方、空が冷えてきた頃に、親方が干し場を見回りながら言った。「寒天は天気が作る。うちらは天気の手伝いだ。夜の寒さと昼の日差しの両方がないと、干し上がらん」。寒すぎても駄目、暖かすぎても駄目。この土地でこの仕事が続いてきたのは、この土地の気候がちょうどよかったからなのだ、と私はその意味をしばらく考えていた。

夜になった。棚のところてんは、星空の下で、しんしんと凍っていく。朝、干し場に出ると、棚という棚が真っ白になっていた。凍ったところてんが朝日に光って、息をのむほど美しい光景だった。昼になると、その氷が融けて、また水が抜ける。夜に凍り、昼に融け、それを繰り返すうちに、ところてんは少しずつ軽く、白くなっていく。

あの年は、運がよかったのだと思う。次の年は暖冬で、夜になっても棚がなかなか凍らなかった。凍まない冬は、寒天にならない。融けるばかりで水が抜けず、棚の上で傷んでいくものもあった。親方は空を見上げてばかりいた。天気が作る、という言葉の意味が、損のかたちで身にしみた冬だった。

春が近づいて、干し上がった角寒天を検品した。手に取ると、驚くほど軽い。日にかざすと、向こうが透けて見える。あの、海の匂いのする液が、夜の寒さと昼の日差しを何十回もくぐって、こんなに透き通ったものになる。自然の力というのは、本当にすごいものだと思った。

あれから十七年、私は毎年、冬の夜の冷え込みを気にしながら生きてきた。寝る前に外の空気を吸って、今夜は凍みるか凍みないかを考える。気づけば私は、夜の寒さの観察者になっていた。あの一年目の冬が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今夜も棚の上では、ところてんが静かに凍っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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