ユウキコハル(39歳・寒天職人17年)
冬のあいだ、私たちは夜の寒さと昼の日差しに天草を預けてきた。凍らせて融かして、水を抜いて。その冬の労苦がようやく実るのが、春の出荷の季節だ。干し上がった角寒天を棚から取り込むとき、私はいつも、長い冬がやっと報われたような気持ちになる。
取り込みは、まだ風の冷たい朝に始まる。棚に並んだ角寒天を一本ずつ外していく。手に取ると、重さが手のひらから消えるくらい軽い。何十回も凍って融けて、水が抜けきると、こうなる。指に力を入れると折れてしまいそうな、頼りない軽さだ。この軽さが、よく干し上がった証なのだと思う。
取り込んだ寒天は、その日のうちに選別にかける。一本ずつ目で見て、等級をつけていく。日にかざして、向こうの指が透けるくらい澄んでいるものが上等だ。途中で形が崩れたもの、端の欠けたもの、干すあいだに小さなゴミや虫の混ざったものは、下の等級に落とす。何千本もを、一本ずつ、目で見る。気の遠くなるような作業だが、これをしないと産地の名が汚れる。
選り分けた寒天は、何本かずつ束ねて紐で結ぶ。角寒天は折れやすいから、結束には作法がある。きつく締めすぎると紐の食い込んだところから折れ、緩いと運ぶうちに箱の中で擦れて欠ける。指の覚えた力で、ちょうどよく締める。束ねたものを、紙を敷いた箱に隙間なく詰めていく。隙間があると、輸送のあいだに踊って折れるからだ。
箱詰めした寒天は、それぞれの取引先へ送り出されていく。昔ながらの和菓子屋、夏のところてん屋、それから製薬会社や、細菌を育てる培地に使う業務用の会社。同じ一本の角寒天が、羊羹になり、ところてんになり、薬の元になり、研究室の皿の中身になる。寒天の行き先の幅の広さに、私はいつも驚かされる。自分の手から出たものが、こんなにいろいろな場所へ届いていくのだ。
一年分の生産が、春のうちにすべて倉庫へ収まっていく。積み上がった箱を見ていると、この冬の寒さと日差しのぜんぶが、ここに詰まっているように思える。出荷の伝票を書きながら、私はようやく一年が終わったのだと感じる。
夏が来ると、干し場はがらんとする。棚を外し、組んだ木を片づけて、来季の支度を始める。じつはこの干し場、田んぼを借りているもので、夏のあいだは持ち主に返して、また田んぼに戻る。冬は寒天の棚が並び、夏は稲が育つ。同じ土地が、季節で顔を変える。なんだか不思議な気持ちになる光景だ。
干し場で一緒に働いた人たちも、夏は別の仕事をする。寒天づくりは冬の仕事だから、季節で雇われる人が多い。ある人は夏は田んぼに出て、ある人は土木の現場に行き、ある人は遠くの町へ働きに出る。冬になればまた戻ってくる人もいれば、戻ってこない人もいる。淡々と、それぞれの夏へ散っていく。
あれから十七年。私にとって、春の出荷は一年の答え合わせだ。倉庫に収まった箱の数が、この冬がどんな冬だったかを教えてくれる。冬の寒さに耐えた分だけ、春に報われる。春の倉庫が、一年の答えなのだ。今年も箱は静かに積み上がり、私はまた次の冬を待つ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。