核は強い。保留音の曲名を知らされていないこと、同じ「お待たせいたしました」が三十秒と三分とで別の挨拶になること、解除の一瞬に漏れる「ママ、できた!」、そして「待たせていたのは、本当はどちらだったのか」。この四点だけで一本立つ。問題は、書き手がこの核を信用しきれず、最終段で主題を地の文で解説し、留保語尾で逃げ、見ていないものまで見たふりをしていることだ。とりわけ惜しいのは、秒で管理される職業を語らせているのに、書き手自身が秒で語りきれていないこと。秒で測られる人間は、秒で語るはずだ。
「保留の三十秒にこそ、この仕事の本質があるのだと、いまは思う。」「いちばん深く相手と関わっているのは、もしかしたら、声を交わしているときではなく、声を止めているこの沈黙のあいだなのかもしれない。」
「この仕事の本質」を本人が名指しで宣言してしまっています。これは前作の批評でも指摘された「本質があるのだ」型の自己解説そのもので、せっかく一つ前の段で投げた「待たせていたのは、本当はどちらだったのか」という良い問いを、自分で答え合わせして潰している。読者が「ママ、できた!」の段で受け取ったものを、作者があとから抽象語で回収しないこと。本質は宣言しなくても、あの一行に既にある。
「向こうの暮らしが一時停止して、保留音という名前も知らない曲のなかで、宙づりになって待っている。」
「宙づり」は、職業の現場から出てきた言葉ではなく、エッセイらしさのために外から借りてきた叙情語です。この語り手の手元にあるのは、後処理画面の秒数、検索窓、ハンドサインであって、「宙づり」のような比喩ではない。しかも前作のクライマックスは「ママ」でした。今回もまた子どもの「ママ、できた!」を山場に据えている。素材として強いのは確かだが、同じ書き手が二作続けて同じ泣かせどころに寄りかかると、観察ではなく手癖に見えてくる。
「たぶん権利の都合か何かで、社内のどこかに名前があるのだろうけれど」「もしかしたら、声を交わしているときではなく」「宙づりになって待っている。」
この語り手は、AHTを秒まで計上され、無音三秒で画面の色が変わる世界に五年いる人です。秒で管理される人間の言葉は、本来もっと即物的で断定的なはずだ。「たぶん」「か何か」「もしかしたら」が重なると、現場の精度が嘘になる。曲名を知らないなら「知らない」で止めればいい——むしろ「五年で一度も聴いたことがない」という事実のほうが、推測より千倍強い。推測は、断言を避ける書き手の保険であって、人物の声ではありません。
「お客様の耳には、保留音だけが流れている。曲名は知らされていない。」
ここは本作で最も鋭い着眼なのに、肝心の保留音そのものが描かれていない。お客様には流れていて自分には流れていない、その非対称が主題のはずです。ならば、研修中に一度だけ受話器側で聴いたのか、テスト発信で自分の番号にかけて聴いたのか、それとも本当に五年間一度も聴いていないのか——そこを一つ書けば、非対称が立ち上がる。メロディの断片でも、テンポでも、長調か短調かでもいい。「保留音だけが流れている」は、聴いた人の文ではなく、聴いていない人が概念で書いた文です。
「手のひらをこちらに向けて軽く上げるのが「来てほしい」、指を二本立てるのが「在庫の確認」。」
サインの説明は具体的でよい。だが、なぜ声を出さずハンドサインなのかが「保留中でも、向こうのお客様には届くかもしれないから」と説明文で処理されている。ここは説明ではなく恐怖で書くところです。一度でも保留中に声が漏れてクレームになった現場を見ているなら、その一件を半行入れるだけで、ハンドサインの切実さが出る。道具の使い方を説明できることと、その道具を使う理由が体に刻まれていることは、別です。いまは前者だけ。
「保留とは、何を保留しているのだろう。」「私は在庫を確認しているつもりで、その人の三十秒を、三分を、預かっていた。」
後者は良い。前者が要らない。「保留とは、何を保留しているのだろう」と問いを地の文で立ててしまうと、その直後の「預かっていた」が、問いに対する模範解答に見えてしまう。問いを書かずに「預かっていた」だけを置けば、読者が勝手に問う。さらに最終段でもう一度「待たせていたのは、本当はどちらだったのか」と同種の問いを重ねており、問いが多すぎる。問いは一通話に一つでいい。
「今日も私は親指をボタンに乗せて、「少々お待ちください」と言う。二つの時間を、また始める。」
「今日も〜する」で閉じる型は、前作の「今日もヘッドセットをつけて」と同じ閉じ方で、しかもどの職業エッセイの末尾にも貼れる汎用シールです。アリムラサキである必然がない。閉じるなら、秒で。たとえば、いま押そうとしている保留が何秒になるか自分には分からない、お客様の側で何が一時停止するかも分からない——その分からなさで終わるほうが、この語り手らしい。
残すべきは四つ。曲名を知らされない保留音、三十秒と三分で別物になる「お待たせいたしました」、解除の一瞬に漏れる「ママ、できた!」、そして「その人の三十秒を、三分を、預かっていた」。削るべきは、最終段の本質宣言、「宙づり」の借り物比喩、留保語尾、「保留とは何を保留しているのか」の地の文の問い。改稿では、保留音を一行でいいから実際の音として書き(聴いたか聴いていないかを事実で確定する)、ハンドサインには声漏れの恐怖を半行足し、閉じは「今日も」をやめて秒の分からなさで終えてください。意味は秒数が運ぶ。宣言が運ぶのではない。