電池交換の、列
十分で終わる作業の中で、私が見ているもの

アシヤノゾミ(33歳・時計修理技能士11年)

修理工房と聞くと、ルーペを覗いて機械式時計の輪列をばらしている姿を思い浮かべるかもしれない。けれど、店頭の仕事の大半は、そうではない。クォーツ時計の、電池交換だ。一日に何本も、カウンターの向こうから時計が差し出される。その小さな列を、私は十一年、見つめ続けてきたのだと思う。

電池交換は、十分で終わる。だが、その十分の中に、するべきことは詰まっている。まず裏蓋を開ける。これがいくつもの種類に分かれていて、こじ開け式、ねじ込み式、四点や六点でねじ留めされたもの。どれを差し出されるか分からないから、オープナーは何種類も机の引き出しに並んでいる。差し出された一本を手に取って、私はまず裏蓋の縁を見る。

裏蓋を開けると、パッキンが見える。ゴムの輪だ。防水のための部品で、これが古くなると、ひび割れたり、平たく潰れたりする。指で押して弾力を確かめ、劣化していればグリスを薄く塗り直すか、新しいものに替える。電池だけ替えてパッキンを放っておけば、次の夏には湿気が入って、機械が錆びる。見えないところで、時計はゆっくりと時を刻みながら、傷んでいくのだ。

ときどき、電池の周りに白い粉のようなものが吹いていることがある。液漏れの跡だ。切れた電池を何年も入れたままにしておくと、こうなる。粉を払い、端子を磨き、漏れが基板まで届いていないかを確かめる。届いていれば、もう電池交換では済まない。だから私は、お客さんにこう言う。「電池が切れたら、なるべく早く持ってきてくださいね」と。

「ついでに、見てもらえます?」——カウンターで、よく言われる言葉だ。電池交換のついでに、最近少し遅れる、たまに止まる、ガラスが内側から曇る。そういう相談が、電池交換の十分の中にそっと差し込まれる。電池交換は、時計の健康診断の入口なのだ。裏蓋を開ければ、その時計が今どんな状態かが、たいてい分かる。

安い時計も、高い時計も、私は同じ手つきで扱うようにしている。千円の時計でも、何十万の時計でも、裏蓋を開けてパッキンを見て、電池を替える手順は変わらない。むしろ、安い時計を雑に扱う修理屋であってはいけないと思う。持ち主にとっては、値段ではなく、その一本なのだから。

あるとき、小学生くらいの男の子が、一人で時計を持ってきたことがあった。子ども用の、青いプラスチックの腕時計だ。「自分で持ってきた」という誇らしさが、その子の顔に出ていた。私は、大人の時計と同じように、丁寧に裏蓋を開けて電池を替えた。きっとこの子は、時計が時を刻むということの不思議さを、これから少しずつ知っていくのだろう。

ソーラー時計というものもある。光で発電して、二次電池に充電して動く。この二次電池も、十年ほどで寿命がくる。世代が替わって、昔の型番が手に入らないこともある。技術は移り変わっていくのだなと、交換のたびに感じる。けれど、光で動くという仕組みそのものは、変わらない。

電池交換だけで、何年も通ってくれる常連さんがいる。三年に一度、同じ時計を持ってくる。裏蓋の小さな傷も、ベルトの擦れ具合も、私は覚えている。たぶん私は、その時計の経年を知っている、唯一の他人だ。持ち主自身よりも、その一本の歳のとり方を、私のほうがよく知っているのかもしれない。電池交換は、ただの電池交換ではない。時計の健康診断の入口であり、持ち主の暮らしの定点観測なのだ。十分で終わるその作業の中で、私は今日も、小さな列を見つめている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。