五月の夕方、シャッター街のなかほどにある小さな書店。間口は二間ほど、奥に細長い。蛍光灯がひとつ、レジの上で薄く点滅している。店主は五十代、何十年もここに立っている。週に一度、立ち読みに来る常連の高校生がいる。鞄は学校指定。今日も入口の文庫の棚の前で、一冊を開いている。閉店まで、あと三十分ほど。
店主いらっしゃい
高校生こんにちは
店主今日も、その棚
高校生はい、今日も、その棚で
店主続き、気になるよね、それ
高校生気になります、すごく
店主ゆっくり、読んでいきな
高校生、文庫の帯をそっと指でなぞる。背表紙の奥に、薄く埃。
高校生あの
店主うん
高校生これ、また、上がりました?
店主上がったね、また。先月から、四十円
高校生四十円
店主紙がね、紙そのものが、上がってる
高校生紙が
店主あと、運ぶのも、人がいないから
高校生運ぶ人
店主そう。本は、軽そうに見えて、けっこう重いんだ、束になると
店主あ、それ、買うときは、カバー、どうする?
高校生カバー
店主うちは、一枚、十円もらうことにしたんだ、今年から
高校生十円
店主嫌なら、いいんだよ、なくて
高校生いえ、十円は、いいんですけど
店主うん
高校生……今日は、まだ、買えないので
店主あ、そう
高校生給料日、っていうか、お小遣い日が、来週で
店主給料日ね
高校生来週、買いに来ます
店主来週まで、あるかな、これ
高校生……
店主冗談、冗談。一冊しか入れてないけど、誰も、買わないから
高校生誰も
店主誰も、買わない
店主、奥の椅子に座る。膝のあたりで、小さく音が鳴る。
店主学校、最近、タブレット?
高校生はい、配られて
店主参考書も、その中?
高校生半分は、その中で。半分は、紙です
店主半分は、紙
高校生数学は、紙のほうが、書き込めるので
店主書き込めるね、紙は
高校生あと、画面、ずっと見てると、目が
店主目、ね
高校生夕方になると、痛くなって
店主こうやって、立ち読みしてる方が
高校生……楽です
店主楽か
高校生すいません、買わずに
店主いいんだよ、別に
高校生いいんですか
店主立ち読みは、昔から、あるからね、ここ
高校生昔から
店主私も、子どものころ、別の本屋で、ずいぶん、立ち読みしてた
高校生店主さんも
店主その本屋は、もう、ない
高校生……ない
店主うん。三軒先の、お茶屋さんも、先月、閉めたしね
高校生お茶屋さん、閉まってた
店主シャッター、増えていく
店の外、商店街のスピーカーから、小さく夕方の音楽。誰も歩いていない。
高校生あの
店主うん
高校生店主さんも、いつか、閉めるんですか
店主……いつかは、ね
高校生……
店主でも、今日じゃない
高校生今日じゃない
店主来週でも、ない
高校生……よかった
店主そんなに、心配しなくていいよ
高校生はい
短い間。店主、レジの横の小さなラジオの音量を、少しだけ下げる。
店主こっちもね、誰か、立ってくれてると、助かるんだよ
高校生立ってる、だけで
店主立ってるだけで、店、開いてる感じが、するから
高校生……
店主お互いさま、ってやつかな
高校生お互いさま
店主だから、来週、来な
高校生来ます、絶対
店主絶対、はいいよ。来られるときに
高校生来られるときに
高校生、本をそっと棚に戻す。背の文字を、もう一度、確かめるように見る。
高校生じゃあ、また、来週
店主うん、また
高校生失礼します
店主気をつけて
引き戸が、軽く鳴って閉まる。シャッター街を、制服の影が一つ、駅のほうへ歩いていく。店主は座ったまま、棚のいちばん端、文庫の一冊の背表紙を、しばらく見ている。閉店まで、まだ少し、ある。