吹上のル・ジャルダンで、隣の席の会話が聞こえた。
大学生らしい女性が二人。片方が、こう言った。
イケメンで陽キャじゃないと、経験が少なくて、話がつまらない。
そのあとしばらく、下ネタを言う男の話と、アホなことをする男の話が続いた。声は大きかった。黒のワンピースで、化粧はきちんとしていて、髪の色も手が入っていた。連れの人は、もっと肌の出る服で、髪はまっすぐ長かった。
最初に浮かんだ言葉は、書かないでおく。たぶん多くの人が同じことを思う。浅いな、と切り捨てるのはとても簡単で、そして、そう思った時点でこちらの負けだと、すぐに気づいた。
彼女が言っていたことは、正しい。
言い直すと、こうなる。
容姿と外向性がある → 誘われる回数が増える → 経験が溜まる → 話が面白くなる → さらに誘われる
持っている人のところに、さらに集まる。この形には名前がついていて、社会学でも科学計量学でも、繰り返し確認されてきた分布の作られ方である。彼女はそれを、教科書も統計も経ずに、二十歳で、婉曲表現なしで言い当てていた。
大人はふつう、同じことをもっと遠回しにしか言わない。「機会に恵まれた人は伸びますよね」とか。中身は一字も変わらない。
それで、書きたくなった理由の本体はここから先である。
同じ構造が、私の職場にもある。
よく知られている研究者ほど講演に呼ばれる。呼ばれるから新しい話を仕入れる。仕入れるから話が面白くなる。面白いからまた呼ばれる。引用が引用を呼ぶのも同じで、読まれている論文はさらに読まれ、読まれていない論文はそのまま沈む。中身の差だけでそうなっているわけではない、と誰もが知っていて、口には出さない。
私は、その構造の受益者の側にいる。
だから、あのカフェの発言を「若い女性の浅い恋愛観」として処理してしまうと、いちばん大事なところを取り逃がす。彼女は、私が黙って享受している仕組みを、声に出して言っただけである。
ここまでが動機で、以下が設計。
一人称で書くと決めた。外から論評する語り手を置いた瞬間に、読者は安全な場所から彼女を見下ろせてしまう。中年の男が隣の席で深く頷いている——そういう構図は、この題材でいちばんやってはいけない。
そのうえで、視点を三つ用意した。
三つ書き終えたときに、誰も間違っていなかったという形になっていればいい。告発でも和解でもなく、全員が同じ仕組みの中で別々にすり減っている、というだけの話にしたかった。
千遥については、仕掛けを三つ埋めた。
第一稿は、この三つを全部きちんと書いて、そして失敗した。
独立の批評役に読ませたところ、いちばん痛いところを突かれた。
ここで作品の仕掛けを本人が完全に解説してしまい、読者が会話から気づく余地を奪っています。
「九十分のあいだに自分が出した話の主語は、どれも別の人だった」——第一稿には、そう書いた段落があった。いちばん見せたかったものを、地の文で説明してしまっていた。読者が自分で気づく機会を、作者が先回りして潰していた。
「書くな、見せろ」と自分で決めておいて、その決めた当人が守れていない。よくある失敗で、他人に指摘されるまで見えない類のものだった。
第二稿で入れ替えたのは、次の三点。
1. 説明の段落を丸ごと捨てた。代わりに、ののかが「千遥は? 夏、なんかした?」と聞く場面を置いた。千遥は少し考えて、結局よその人の話を始める。地の文は何も言わない。
2. 象徴を減らした。グラスの氷が意味ありげに揺れるのをやめた。かわりに、染め直しは三週間ごとで、土曜に回すと二千円上がる、という金額と予定表にした。
3. 結末で救わないことにした。批評役は「友人の評価で赦してはいけない」と言った。半分だけ受けた。ののかの「千遥は話、面白いよ」は残し、そのすぐあとに、千遥が反射でまた他人の話を始めるようにした。褒められて、その場で証明してしまう。本人は気づかない。ののかは笑う。仕組みはそのまま回り続ける。
書かなかったことも、いくつかある。
ル・ジャルダンの店内は、ほとんど描いていない。実在の店なので、覚えていない造作を埋めて書くわけにはいかない。冷房の風の当たり方と、ぐらつくテーブルと、隣の席が就活の話をしていたこと。それくらいで止めた。
二人が誰だったかも、書きようがない。服装と声しか知らないし、それ以上を知る必要もない。作中の二人は、あの日の二人ではなく、こちらで組み立てた別人である。実際に書けたのは、聞こえてきた一文と、それが自分の職場にも当てはまるという発見だけで、残りは全部つくりものだと明記しておく。
最後に、まだ書いていないものを。
千遥の三年後を書きたいと思っている。就職活動で「学生時代に力を入れたこと」を聞かれる場面である。あそこは、経験のストックを公式に換金させられる、たぶん人生でいちばんあからさまな窓口だ。彼女の理屈はそこで正しさを証明され、同時に、いちばん残酷な形で請求書になる。
第二稿の隣の席で、就活生が「御社」と言い続けているのは、そのためである。