瀬川千遥(20歳、名古屋の私立大学 経営学部2年、女子。一人称は「あたし」)
経験の少ない人
カフェの午後・1
午後二時すぎ、名古屋の私大近くのチェーン店は、講義の空き時間を埋める声でずっと明るかった。あたしとののかは窓から二列目の席に座り、九十分だけ、と最初に決めた。ののかのアイスティーはまだ半分以上あり、あたしのラテの氷は細くなっていた。
「経験が少ない人って、話、つまんないんだよね」
ののかがストローから口を離した。
「決めつけるね」
「決めつけじゃない。イケメンで陽キャじゃないと、そもそも誘われる回数が少ないじゃん。誘われないから経験が増えない。話すことがないから次も呼ばれない。逆に一回呼ばれる人は、その場でまた話を作る。次も呼ばれる。経験が経験を連れてくるの」
「おとなしい人でも面白い人、いるよ」
「いる。でも、おとなしいだけで面白くなるわけじゃない。何かある人は、その何かをやってる。人と会ってるか、一人で変な場所へ行ってる」
ののかは否定せず、氷を一度だけ回した。
「この前の飲み会もさ、メニューの『サイズは?』だけで、あいつ『俺に聞く?』って。早すぎ」
ののかが先に吹き出し、あたしも笑った。意味が全員に届くまで一秒もかからない、強い笑いだった。
「でもああいうのは無理。隣にいるぶんには笑う。自分に向けられたら切る」
「笑ってるのに」
「笑うのと無理なのは両立する」
「あと、罰ゲームで駅前の銅像に本気で謝ったやつ。膝までついて」
「動画、面白かった」
「面白いけど、あの面白さ、あいつが作ってるわけじゃないじゃん。罰ゲームが作ってる」
「でも、引き受けて最後までやったのはあいつ」
「それはそう。逃げないから次も振られる。で、また話が増える」
ののかは今度も否定しなかった。
九十分のあいだにあたしが出した話の主語は、どれも別の人だった。下ネタを言った男、銅像に謝った男、その場で笑った先輩。あたしは順番を入れ替え、余分な説明を抜いた。ののかが笑う直前には少しだけ声を落とした。自分が何をしたかという話は、一つもなかった。
着ていた黒のワンピースは膝下丈だった。黒は失敗しないから選んでいる。座ったときの裾を気にしなくてよく、講義室から店へ移っても色だけが浮かない。朝、鏡の前で別の服と合わせて十五分使い、最後に黒へ戻した。
化粧の崩れはトイレで二回直した。一回目は頬と口元、二回目は目の下だけ。髪の根元は三週間ごとに染め直している。次の予約日は来週の木曜なら講義後、そこを逃すと土曜になる、と頭の中で数えた。伸びると、急に、手を抜いた人に見えるから、予約枠と代金は先に予定へ入れておく。見た目は放っておいて残るものではないらしかった。
明日また同じ話題が出ても、あたしは同じ順番で説明する気がしていた。九十分目、二人分の伝票を持って会計へ向かう。ののかが財布を開きながら言った。
「千遥は話、面白いよ」
あたしは一瞬、止まる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。