打ち直しの、綿(第二稿)
実家のふとん店で働き始めた、二十二の年

ドモトカズエ(58歳・ふとん店の打ち直し職人36年)

古い布団は、捨てるばかりではない。中の綿を取り出して打ち、弾力を戻して仕立て直す。打ち直しと言う。私はこの仕事を三十六年してきた。側生地をほどいて出てきた綿を手のひらで押すと、その家で何年寝たかが、押し返してくる重さで分かる。

一九九〇年の春、二十二で実家のふとん店に入った。最初の数ヶ月、父は機械に触らせず、布団をほどかせるだけだった。ほどくと綿が出る。新品のときは平らに敷かれていた綿が、使ううちに片寄り、固まり、薄くなる。父はそれを「へたり」と呼んだ。「綿は嘘をつかん。へたりは、寝た年数だ」。そう言って、私に綿の真ん中を押させた。

真ん中だけが薄い布団があった。まわりは厚いのに、体の収まるあたりだけが板のように固い。父は言った。「これは一人で寝る人だ。それも、律儀に、毎晩おなじところに」。寝相の悪い人の布団は全体が均されてへたる。同じ場所にきちんと寝る人ほど、そこだけが沈む。眠りの癖が綿に残ることを、私はその一枚で知った。

片側だけくぼんだ布団もあった。幅の左の三分の一が沈んでいる。父は少し黙って、「赤ん坊を寄せて寝た人だな」と言った。母親が自分の体の片側に赤ん坊を寝かせ、同じ姿勢で守るように何年も寝た。その側だけが落ちていた。

その夏、婚礼布団の打ち直しが来た。嫁いだとき持たせてもらった布団を三十年使ったという。側生地は擦り切れ、襟もとに茶色い染みが筋になって残っていた。ほどいて綿を計りに載せると、二貫目あったはずの綿が一貫二百匁まで痩せていた。八百匁ぶんの綿が、三十年で繊維ごと細って消えていた。新品なら一枚いくら、打ち直しなら半分以下。その差を知っていて、客は打ち直しを選んでいた。

父は新綿を七百匁足すと言った。八百匁減ったのに、足すのは七百。「全部戻すと、この人の布団じゃなくなる」。残った古綿に新綿を混ぜて打ち、綿入れの台に平らに敷いて、仕立ての針で側生地を縫い直す。仕上がった布団を押すと、弾力はちゃんと返ってきた。けれど新品ではなかった。父は「戻ったろう」と言った。戻った。新しくはなっていない。「戻る」と「新しくなる」は、足す綿の匁数のぶんだけ、違うことだった。

嫁いだときの布団を、その人は三十年、へたるたびに打ち直して使ってきた。新品を買うほうが安い年もあったろう。それでも戻し続けた。綿は新しくはならない。戻せるかぎり、足りない百匁のぶんだけ、その人の三十年がそこに残る。

三十六年で打ち直した布団は数え切れない。一枚ずつの目方は覚えていない。覚えているのは、足さなかった綿のほうだ。八百匁減って、七百匁足した、あの婚礼布団。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。