ドモトカズエ(58歳・ふとん店の打ち直し職人36年)
持ち込まれた布団は、まず側生地の上から手で押す。木綿わたか、ポリエステルわたか。木綿は底まで沈んで、ゆっくり押し返してくる。ポリは表面で跳ね返し、握ると繊維がきしんで、つるつるすべる。打ち直しの機械は木綿わた専用で、ポリを入れると繊維が絡んで打てない。だから戸口で押した時点で、たいていは答えが出る。たいていは。
厄介なのは、湿気で固まり切った木綿だ。長く湿った押し入れにあった綿は、繊維のあいだに湿気を抱えたまま板のようになる。同じ大きさの布団とは思えないほど重い。これを戸口で押すと、底まで沈まない。固いまま、押し返してこない。ポリと同じで、表面で固く跳ね返す。木綿なのに、ポリの手触りで嘘をつく。
若いころ、この固まった木綿を、何度かポリと取り違えた。ポリだと思って断り、客が帰ってから側を少しほどいて、木綿だったと気づく。逆もあった。だから今は、紛らわしい一枚は、戸口で決めない。奥に運んで、側を五寸ほどほどき、中の綿を指でつまんで裂く。木綿は裂けると短い繊維が綿埃になって舞う。ポリは長い繊維が糸を引く。固まっていても、裂けば嘘をつかない。戸口の手触りで読めると思っていたのは、若さだった。
裂いて木綿と分かっても、固まり切った綿は打ち直せない。機械に入れても繊維がほぐれず、打ってもふっくら戻らない。手のひらで押して、固いまま、返事をしない綿——これが、私が「打ち直せません」と言わねばならない綿だ。
断るとき、私はいつも、安いから断るのではない、と先に言う。客は値打ちの話と取り違える。「安い布団だから、もういいですよね」と先回りして言う人がいる。そういう客には、私は綿を一つまみ見せて言う。「高い安いの話じゃないんです。この綿が、機械に載らないんです」。値段ではなく、機械に載るか載らないか。そう口にすると、たいていの人は、綿のほうを見る。
羽毛は、また別だ。綿打ち機では打てない。古い羽毛を洗い、新しい羽毛を足して、別の側に詰め直す。リフォームと言って、うちでは扱わず、岐阜の業者に送る。半月して戻ってくると、側生地が前と少し違う。客には、中の羽毛は同じです、側だけ新しくしました、と詫びる。「打ち直し」の暖簾を見て羽毛を抱えてくる人に、これは別の工程です、と言うのも、断りの一種だった。
先日、固まった木綿の布団を抱えた女の人が来た。戸口で押すと、底まで沈まない。奥でひとつまみ裂くと、短い繊維が舞った。木綿で、固まり切っていた。打ち直せない綿だ。私は口を開いて、いつもの「これはうちでは打てません」を言おうとした。言えなかった。その人が先に、「母の布団なんです」と言ったからだ。私はいつもの台詞を引っ込めて、引き取り処分の料金だけを伝え、それでもよければ、と頭を下げた。処分も、断った布団を見送るのも、店の仕事だ。固まった綿は、台所の隅で母親がどう寝たかを覚えている。打てなくても、覚えていることは変わらない。
三十六年で、断った布団も数え切れない。戸口の手触りで読めたつもりだった綿。裂いてやっと分かった綿。木綿だと分かっても、打てなかった綿。覚えているのは、打てた布団より、打てなかったほうだ。あの、母の布団。返事をしなかった、重い綿。