打ち直せない、布団
「これは打ち直せません」と言うまでの、三十六年

ドモトカズエ(58歳・ふとん店の打ち直し職人36年)

打ち直しは、どんな布団にもできる仕事ではない。中の綿を取り出して打ち、弾力を戻して仕立て直す——そう何度も書いてきたけれど、持ち込まれる布団のなかには、その台に載せられないものがある。「打ち直せません」。この一言を、私は三十六年かけて、少しずつ言えるようになった。

店の戸が開くと、たいてい風と一緒に客が入ってくる。雨の日には、湿った外気と、たたんだ布団の重たい匂いが、店の奥まで流れ込んでくる。私はその匂いで、布団がどれくらい湿気を吸っているかが、なんとなく分かる。長く押し入れにしまわれていた布団は、独特の、こもった重さの匂いがする。

持ち込まれた布団は、まず側生地の上から手で押す。木綿わたか、ポリエステルわたか。木綿は押すと底まで沈んで、ゆっくり押し返してくる。ポリは表面で跳ね返してきて、握ると繊維がきしむような、つるつるした感触がある。打ち直しの機械は木綿わた専用で、ポリのわたを入れると、繊維が機械に絡んで打てない。だから戸口で押した時点で、私には半分、答えが出ている。

羽毛の布団も、打ち直しの機械には載らない。羽毛は綿打ち機で打つものではなく、古い羽毛を洗って、新しい羽毛を足し、別の側生地に詰め直す。リフォームと言って、別の工程になる。うちにはその設備がないので、専門の業者に外注する。「打ち直し」と書いた暖簾を見て羽毛布団を抱えてくる人に、これはうちでは打てません、別の工程になります、と説明するのが、まず最初の難しさだった。

いちばん心苦しいのは、湿気で固まり切った綿だ。長く湿った押し入れにあった木綿わたは、繊維のあいだに湿気を抱えたまま固まって、板のようになる。持ち上げると、同じ大きさの布団とは思えないほど重い。こういう綿は、機械に入れても繊維がほぐれず、打ち直してもふっくら戻らない。手のひらで押すと、固いまま、押し返してこない。返事をしない綿だ。

断るとき、私はいつも、打ち直す価値がないのではない、と先に言うようにしている。安物だから断るのではない。打ち直しという技術が、この綿には届かないだけなのだ。値打ちの話と、技術の話を、客はよく混同する。「安い布団だから、もういいですよね」と先回りして言う人がいる。違う。高い安いではなく、機械に載るか載らないか、という話なのだ。その違いを、私はできるだけ丁寧に伝える。

いまは、量販店で布団が一枚、目を疑うような値段で買える時代だ。へたったら買い替えればいい。それでも打ち直しの注文は、細々と、けれど途切れずに来る。なぜ来るのか、長く考えてきた。たどり着いたのは、値段ではない、ということだった。打ち直しに来る人は、安く済ませたいのではなく、「この綿で」と指名して来る。この布団の、この綿でなければ、と。

先日も、固まった木綿わたの布団を抱えた女の人が来た。湿気で重く、もう打ち直せない綿だった。私が断ろうとすると、その人は小さな声で、「母の布団なんです」と言った。私は言葉に詰まった。打ち直せないものを打ち直せないと言うのは、技術の話だ。けれど、その綿に何が宿っているかは、技術の外にある。私は引き取り処分の料金を伝え、それでもよければ、と頭を下げた。処分も、断った布団を見送るのも、布団屋の仕事だった。

三十六年、私は綿のへたりを読んできた。けれど読むだけが仕事ではない。読んで、戻せるものは戻し、戻せないものには戻せないと言う。断ることも、布団屋の仕事なのだ。今日も店の奥で、綿打ち機が低く唸っている。打てる綿の、唸りだ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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