核は強い。低温で膨らませ高温で固める二度揚げ、減った菜種油への継ぎ足し、そして夕方の常連が買う「枚数」でその夜の使い道を当てる目。この三点、とりわけ最後の一点は、デビュー作で水の透明さを読んだ目の正統な続きで、これだけで一本立つ。問題は、書き手がその核を信用せず、朝の光と甘い匂いの書き割りで場面を立ち上げ、最終段で「揚げるとは保存の発明だ」と二度も三度も解説して回収していることだ。とりわけ惜しいのは、温度で生きている人物に「〜のだろう」「〜だと思う」を持たせ、断定で立つはずの職業の手つきを曖昧にしていることである。
「私はその枚数で、その人の夜を思う。それが、豆腐屋の午後というものだ。」
「それが、〜というものだ」は、どの職業エッセイの末尾にも貼れる汎用の判子です。エグチケンタロウである必然がない。直前の「枚数で夜を思う」が十分に効いているのに、その上から「これが午後というものだ」と一般名詞でまとめ直した瞬間、固有の店が抽象的な「豆腐屋一般」に薄まる。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めてしまっています。
「朝の光の中で釜の湯気がきらきらと立ちのぼり、店の表に大豆の甘い匂いが静かに満ちていく。」
光、湯気、甘い匂い、「静かに満ちていく」。これは前作のレビューで一度叩いたはずの、生成された“文学的な厨房”の調達セットそのものです。しかもこの一文の主題は油揚げ=午後なのに、開幕でわざわざ朝の豆腐の情景を詩的に飾っている。二十八年この鍋の前にいる人間がまず書くべきは、光ではなく、午後の油が温まるときの匂いの立ち方や、表通りに匂いが届くまでの時間のはずです。
「早すぎても、遅すぎてもいけないのだろう。」「それは知恵だったのだと思う。」「明日の行事までが、なんとなく見えてくる気がする。」
この語り手は温度の人です。温度計の針と油の音で、膨らみきった一瞬を引き上げる職業。その人物が膨らみの見極めを「いけないのだろう」と推量で語るのは致命的で、彼は早すぎる・遅すぎるが具体的にどうなるかを身体で知っているはずです(早ければ生っぽく縮み、遅ければ固く色が濃くなる、と言える)。「〜のだろう」「〜だと思う」「〜気がする」の連発は、若手の心理ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。前作で確立した「数字ではなく手で決める」断定の声と矛盾しています。
「まず低い油に入れて、ふわりと膨らませる。それから高い油に移して、固める。」
「低い油」「高い油」は概念であって観察ではありません。温度計の針を見る、と別の段で自分で書いているのだから、低温と高温が実際に何度くらいなのか、針がどこからどこへ動くのかを書けるはずです。「ふわりと膨らませる」も同様で、油揚げが膨らむときには、生地が浮いて鍋の中で泳ぎ、油の泡の音が変わる——前作の二度揚げで「油の音が変わる瞬間」を書けた人が、ここでは音を捨てて「ふわり」という汎用語に逃げている。見えていれば、ふわりとは書かない。
「揚げるということは、保存の技術であり、付加価値の発明だったのだ。」/「揚げるということは、保存の発明であり、付加価値の発明なのだ。」
第五段でいったん「保存の技術・付加価値の発明」と書き、最終段でほぼ同文を繰り返しています。同じ抽象命題を二度太字で言われると、読者は二度目には飽きている。しかもこの命題は、油揚げが豆腐より日持ちし値段が上がる、という事実の段で具体的に示されているのだから、抽象文として言い直す必要は一度もない。発明だったと書くより、「二日もつ」「五十円高い」と数字で置けば、発明の中身が勝手に立ちます。
「水と油は混じらないというけれど、うちの店では、朝の水が午後の油につながっている。」
水と油のレトリックは、上手すぎて嘘っぽい。前作の「水」を受けて構造的に締めたい作者の都合が透けています。残った豆腐が油をくぐって別の品になる、という事実そのものに「朝の水が午後の油に」という詩的な橋を架けると、事実より作者の意匠が前に出る。この語り手なら、ことわざを引かずに、水槽から上げた豆腐の水気を切ってから油に入れる、その一手の段取りで朝と午後をつなぐはずです。
「菜種油は、減ったぶんを継ぎ足していく。(中略)これも、教わるより前から知っていたような気がする。」
「教わるより前から知っていた」は前作の水槽の段で一度使った決め台詞で、二作目で同じ場所(冒頭近くの所作の説明)に同じ型を置くと、自己模倣に見えます。さらに継ぎ足しの油は、店ごとに「何日で総入れ替えするか」「揚げかすをいつ漉すか」という運用の論理があるはずで、そこを書かずに「ちょうどいい色になる」で済ませると、油の管理という職業の核心が雰囲気に化けてしまう。前作が水の入れ替えの段取りで勝負したように、ここは油の入れ替えの段取りで勝負すべきです。
残すべきは三つ。低温で膨らませ高温で固める二度揚げの温度と音、減ったぶんを継ぎ足す菜種油、そして常連が買う枚数でその夜の献立を当てる目。削るべきは、朝の光と甘い匂いの書き割り、「〜のだろう」「〜気がする」の留保語尾、そして「保存の発明・付加価値の発明」という主題文の二度書きと、水と油のことわざ落ち。改稿では、温度を数字か針の動きで一度だけ押さえ、膨らみは「音」で引き上げ、保存と付加価値は「二日もつ」「いくら高い」という具体で言わせてください。意味は段取りと数字が運ぶ。解説が運ぶのではない。