エグチケンタロウ(50歳・豆腐店三代目)
豆腐屋の一日は、朝が豆腐で、午後が油揚げだ。朝の光の中で釜の湯気がきらきらと立ちのぼり、店の表に大豆の甘い匂いが静かに満ちていく。その朝の豆腐がどれだけ残るかを見込んで、午後に何枚揚げるかを決める。朝と午後で、店はまるで二つの顔を持っているのだと思う。
朝のうちに、その日の売れ行きはだいたい見える。よく出る日と、出ない日がある。出ない日は、午後に揚げる枚数を増やす。残った豆腐を、油揚げに変えるからだ。豆腐から油揚げへ。この転身が、つまりはうちの店の在庫管理なのだと思う。継いでみて、そのことに気づいた。
油揚げは、二度揚げる。まず低い油に入れて、ふわりと膨らませる。それから高い油に移して、固める。低温で膨らませ、高温で固める——文字にすればそれだけのことだが、油の温度の使い分けが、油揚げのすべてだと言ってもいい。鍋に挿した温度計の針が、揚げ網を上げ下げするたびに、少しずつ揺れる。
菜種油は、減ったぶんを継ぎ足していく。新しい油だけでは、揚げ色がうまくのらない。使い込んだ油に新しい油を足して、ちょうどいい色になる。これも、教わるより前から知っていたような気がする。膨らみの見極めだけは、いまも難しい。膨らみきった瞬間に上げる。早すぎても、遅すぎてもいけないのだろう。
油揚げは、豆腐より日持ちする。豆腐は今日のものだが、油揚げは二日、三日ともつ。そして値段も、豆腐より少し上がる。つまり、揚げるということは、保存の技術であり、付加価値の発明だったのだ。先人は、売れ残りを捨てる代わりに、油で揚げることを思いついた。それは知恵だったのだと思う。
夕方になると、油の匂いが店の表まで広がっていく。その匂いに誘われるように、油揚げを買いに来る常連がいる。私は、その人が何枚買うかで、今夜の使い道を当てる。二枚なら味噌汁。五枚も六枚も買う人は、いなりを作るのだろう。一枚だけ買って帰る人は、たぶん焼いて、そのまま生姜醤油で食べる。聞かなくても、枚数で分かる。
いなり用に、と電話で注文が入ることもある。十枚、二十枚と。そういう日は、揚げる枚数をはじめから足しておく。注文の枚数を聞くと、その家の人数や、明日の行事までが、なんとなく見えてくる気がする。油揚げは、ただの油揚げではない。その向こうに、誰かの食卓がある。
朝に豆腐を作り、午後に油を熱す。豆腐は水の中で売られ、油揚げは油の中で生まれる。水と油は混じらないというけれど、うちの店では、朝の水が午後の油につながっている。残った豆腐が、油をくぐって別の品になる。揚げるということは、保存の発明であり、付加価値の発明なのだ。継いでから、私はそのことに、ようやく気づいたのだと思う。
今日も午後になれば、私は油の温度を見る。温度計の針を見ながら、揚げ網を上げ下げする。夕方には、また油の匂いが表に広がるだろう。そして誰かが、何枚かの油揚げを買いに来る。私はその枚数で、その人の夜を思う。それが、豆腐屋の午後というものだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。