辛口レビュー
——「卒業証書の、三月」第一稿について

核は強い。世界に一枚しかない証書用紙、慣れによって伸びる九人目の鈴木の右払い、二人がかりで半日かける読み合わせ。この三点は、この人にしか書けない。問題は、書き手がその強さに自信を持ちきれず、「旅立ちの春」という既製の額縁で全体を縁取り、最終段で主題を自分の口で言い直して回収していることだ。とりわけ惜しいのは、過去二作で確立した「景色は見えても、筆は揺らさない」を、今回は効かない場所に貼り直して安く済ませている点。職業の手つきで書ける人が、手つきの外で叙情を借りると、借りた分だけ嘘に見える。

1. 「旅立ちの春」という既製の額縁

「旅立ちの春は、私のところには、まず一束の紙として届く。」

一文としては悪くない。むしろ巧い。だが「旅立ちの春」は、この人が選んだ言葉ではなく、卒業エッセイなら誰でも置く既製の叙情装置だ。この語り手の手柄は「春が紙で届く」という即物性のほうにあるのだから、額縁の「旅立ちの春」は要らない。「二月の段ボール」で始めて、春という語を一度も使わずに春を立てるほうが、この人らしい。サブタイトルの「旅立ちの春に立ち会わない仕事」も同じ理由で甘い。

2. 留保語尾が、断定で生きる職業と矛盾する

「退屈との戦いだと言う人もいるが、本当に怖いのは飽きではなく、慣れだ。」「世帯としての二人の名前が活字でなく毛筆で書かれる、最初の機会かもしれない。」

後者は前作からの再録だが、今作にも「かもしれない」「思わない」「思う」という保険が散る。「良いとも悪いとも、私は思わない」は一見すると職業倫理の表明だが、わざわざ書くことで逆に態度を説明してしまっている。原本を一つに決め、旧字か新字かを電話で確かめる人物は、断定で食っている。回想の語尾が留保に逃げるたびに、その断定の手つきが薄まる。

3. 見ていないディテール(名前の時代)

「私が始めた頃に多かった「子」のつく女の子の名は、いまはほとんど見かけない。代わりに、画数の多い、止め字に「翔」や「結」を置く名前が増えた。」

これは観察ではなく、世間で何度も言われた話の要約だ。「翔」「結」「子の減少」は、新聞のコラムが毎年書いている。二十九年、実際に証書を起こしてきた人間にしか言えないのは、もっと手元の話のはずだ——たとえば「同じ読みでも当てる字が毎年ばらける」「ふりがながなければ一枚も書けない名簿の割合が、何割になった」「画数が増えて、名前のほうが姓より大きく見える割り付けに困る」。手の困りごとを書けば、時代は勝手に立つ。一般論で代用しているので、ここだけ別の人が書いた段落に見える。

4. 主題の直叙・自己赦し(最終段)

「式の日にその場にいない仕事、それが筆耕というものなのだ、と。」

これがいちばんの傷だ。エッセイの主題を、語り手が自分の口で主題文として言い切ってしまっている。「いない仕事」という核は、その前の段の「手渡される瞬間を、私は一度も見たことがない」だけで、すでに完全に伝わっている。「〜というものなのだ」は、どの職業エッセイの末尾にも貼れる回収シールで、フカクサアンである必然がない。三月の疲れと四月の静けさという、せっかくの体の実感まで、この一文の解説に飲まれている。

5. 「景色は見えても、筆は揺らさない」の安易な再利用

「見えないその一瞬を、筆先で想像しながら、けれど祝う気持ちは乗せずに、私は名前を書いている。心が乗れば字は揺れる。景色は見えても、筆は揺らさない。」

この決め文句は第一作・第二作で効いた。だが前二作では、招待状や賞状という「これから祝われる名前」を前にして揺れない、という緊張があった。卒業証書は、書く時点では式はまだ先で、しかも自分は式にいない。揺らす対象がそもそも目の前にない。だから同じ文句を置いても、空打ちになる。決め文句の使い回しは、シリーズの自己模倣にしか見えない。この回ならではの「揺れ」の正体(たとえば、自分が立ち会わない一瞬を想像してしまうこと自体が揺れだ)を、別の言葉で探すべきだ。

6. 締めの電話が、前二作と同型すぎる

「さっき一本、電話を入れたところだ。「お名簿のこの一字は、旧字でしょうか、新字でしょうか」。受話器の向こうの人が、少し驚いてから、台帳を繰って確かめてくれる。私の仕事は、いつもこの一言から始まる。」

「電話の一言で終わる」は前二作の結びと完全に同じ型だ。シリーズの手癖として一作なら効くが、三作連続で同じ着地をすると、人物の発見ではなく作者のテンプレートに見えてくる。今作は「終わり」の話(納品・式・四月の静けさ)なのだから、結びは「始まり」の電話に戻すより、四月の静けさで終えるほうが主題に忠実だ。少なくとも、前作とまったく同じ「少し驚いてから」「確かめてくれる」の語選びは変えたい。

7. どの職業にも置ける汎用文

「地味な時間だが、この読み合わせがあるから、式の朝に名前を案じずにすむ。」

「地味な時間だが、〜があるから〜ずにすむ」は、検品でも校正でも経理でも、そのまま置ける汎用構文だ。読み合わせの段落は本来この稿の白眉で、「さとう、はるか」「さとう、はるか」の反復と、先生が鉛筆で点を打つ動作が、すでに半日の重みを運んでいる。説明の一文を足した分、その動作の値打ちが下がる。動作で立っている場所に、意味を言い添えてはいけない。

総括——残すべき核

残すべきは四つ。三種の名簿を突き合わせて原本を一つに決める手つき、慣れによって伸びる九人目の鈴木の右払い、世界に一枚しかない証書用紙の予備を頭の隅で数える緊張、そして「さとう、はるか」の読み合わせ。削るべきは、「旅立ちの春」の額縁、留保語尾、最終段の主題直叙、そして使い回しの「筆は揺らさない」。改稿では、(1)「翔・結・子の減少」の一般論を、ふりがな無しでは一枚も書けない名簿の割合という手元の数字に置き換える、(2)最終段の「それが筆耕というものなのだ」を消し、四月の机の静けさと手の疲れだけで終える、(3)決め文句を空打ちさせず、立ち会わない一瞬を想像してしまうこと自体を「揺れ」として書く。意味は手と数字が運ぶ。語り手の総括が運ぶのではない。

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