五軒の、違い
同じ機械を置いても、売上の内訳が立地を語る

フナコシミノリ(45歳・コインランドリー巡回管理人)

私が回る五軒は、どれも同じ会社が同じ年に建てた、同じ造りの店だ。洗濯機の台数も、乾燥機の並びも、両替機の位置も、椅子の色も、図面が一枚あればぜんぶ説明がつく。けれど五軒は、まったく違う店になった。同じ箱に同じ機械を入れて、立地だけが違う。違ったのは立地だけなのに、店のほうが別の生き物のように育っていった。

五軒を回る順番を、私は売上の集計順では決めていない。ゴミの溜まり方の順だ。いちばん早く溢れる店から回らないと、昼までに収拾がつかなくなる。だから巡回路は、町の貧しさや豊かさとは関係なく、人がどれだけそこに居座ったかの順に並ぶ。ゴミ箱は、売上よりも正直に、その店に人がいた時間を映しているように思えてならない。

駅前の店は、朝がいちばん混む。通勤前のスーツの人が、前夜に回しておいた洗濯物を乾燥機にだけ放り込んで、表示を見ずに駅へ走っていく。だからこの店は、洗濯より乾燥の比率がずっと高い。売上の内訳を見ると、乾燥機の硬貨が洗濯機の倍近い。みんな、洗うのは家で済ませて、乾かす時間だけを買いに来る。時間を買う、というのが、この駅前の店のいちばん似合う言い方だ。

団地の店は、週末に大物が出る。毛布、カーペット、こたつ布団。家の洗濯機に入りきらないものが、土曜の朝にどっと持ち込まれる。大型の乾燥機の前に行列ができ、椅子は荷物で埋まる。冬の入り口と春の入り口、季節の変わり目に毛布の山ができて、その二週間だけ売上が跳ね上がる。あとは静かなものだ。団地の人たちは、季節を洗いに来るのだと思う。

学生街の店は、深夜に灯る。私は夜にいないから、これも翌朝の在庫から知るのだが、洗剤の自販機が、ここだけ妙な減り方をする。洗濯機は回っているのに洗剤が切れている朝が多い。買い忘れて来て、自販機で一個だけ買う。学生の財布の事情が、自販機の補充頻度に出ている。私はこの店の自販機を、週に三度補充する。他の店は週に一度で足りる。

住宅街の店は、平日の昼が主婦の時間だ。送り出しを済ませた人たちが、子どもの上履きや運動靴を、靴専用の洗濯機に入れていく。あの機械はよその店ではほとんど回らないのに、この店だけは昼にごとごとと低い音を立てて回り続ける。靴が金具に当たって回る、あの不器用な音。住宅街の昼は、その音で時間が刻まれている。椅子には、買い物袋を膝に抱えて待つ座り方の癖が、座面の沈み方にまで残っている。

幹線道路沿いの店は、作業着の店だ。土や油で汚れたつなぎが、何台もまとめて回る。駐車場には軽トラと、長距離のトラックが停まる。トラックの運転手は、洗濯のあいだ運転席で仮眠を取るらしく、洗い終わってもしばらく車が動かない。働く服を洗う店。机に向かう人の服ではなく、外で汚れた服が集まってくる。同じ機械が、ここでは汗のために回っている。

椅子の座られ方も、駐車場の車種も、自販機の減り方も、毛布の季節の混雑も、五軒それぞれに違う。同じ図面から生まれた五つの箱が、立地という一点だけで、これほど違う顔になる。私はそれを、誰にも会わずに、硬貨の重さと在庫の減りとゴミの溜まり方から読んでいる。会わないからこそ、数字のほうがよく見えるのかもしれない。

結局のところ、五軒の店は、五つの町の鏡なのだ。機械は同じでも、そこに集まる暮らしが違えば、店は違う店になる。私は十年、五枚の鏡を磨いて回ってきたのだと思う。会わない人たちの暮らしを、私はゴミ箱と硬貨と自販機越しに、たしかに見てきた。それでよかったのだ、と、いまは思える。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。