タカハシセイイチ(家計アドバイザー)/『お金のことば、家に入る — 家計アドバイザーの、十の夜』#7
生成日: 2026-05-01
十一月の土曜日、隣県の義母の家に妻と二人で出かけた。駅から二十分歩いた住宅地の、夫婦で建てた戸建て。義父が亡くなって十年、義母は七十五歳、独居である。昼前に着いて、台所に入った妻が冷蔵庫を開けた音がして、続けて義母の「あらあら」という声。煮物の鍋の中身を、私たちのために二倍に増やしてある。
昼食の途中の三つの話——食卓の真ん中に、煮物、漬物、味噌汁、それと買ってきたであろう惣菜の天ぷら。半分ほど食べたところで、義母が、テーブルの端を指で押さえながら、遺言の話を出した。「先生のところで、簡単なやつを書いてもらってあるのよ」。少しして、生活費の話。「年金で、ちょうどぐらい」。そのあと、独居の話。「夜、たまに、玄関のほうで音がする気がしてね」。三つとも、間に漬物を口に運ぶ動作が入って、続きを尋ねる隙がない。
聞き役の位置——私は職業柄、客の話の中から「次に踏み込んで聞くべき話」を選り分ける訓練を受けている。今日の三つは、客なら全部踏み込む。遺言の内容、年金の額面、独居の不安への具体的対処。だが私は今日、客のところに来ているのではない。妻の母のところに来ている。私は煮物の里芋に箸を入れて、「おいしいですね」と言った。妻が私の横顔を一瞬見た気がした。
玄関で出た語——食事のあと、お茶を飲んで、二時間ほどで切り上げる。玄関で靴を履いていると、義母が三和土の段差の上に立って、片手で柱に触れて、もう片方で私たちを送る形になる。妻が「また来るね」と言うと、義母は少し笑って、声がかすれていて、「うちは普通の家庭だから贅沢はできないけどね、それで十分なのよ」と言った。「普通」のところで一拍あった。
「普通」が客の口から出るとき——客の面談で「普通」という語が出ると、私はメモの隅にチェックを入れる。基準なき名詞。「普通の家庭」「普通のサラリーマン」「普通に暮らせれば」。出た瞬間、その客の自己定義が表に出ている。可処分所得に対して支出が四割なのか七割なのかで「普通」の中身は違う。チェックを入れたあと、次の質問で具体に降ろしていく。それが私の仕事の手順だ。
義母の口から出るとき——同じ語が、義母の口から出ると、メモを取る手が動かない。動かないようにする訓練を、十年の婿付き合いで身につけたわけではない。動かなかった。動かさなかった、のほうが近い。義母の「普通」は、客のそれと違って、踏み込みを許す入口ではなく、終止符のほうだった。「うちは普通の家庭だから」のあとに「贅沢はできない」と続いた時点で、彼女は自己定義を提示し、同時に提案を受け取らない宣言をしている。同じ語の二つの機能が、一日の中で動いた。
聞かないことの内訳——「普通って何ですか」と私は義母に聞かない。聞けば、彼女が十年積み上げてきた生活の形——年金で回る家計、月一の私たちの訪問、近所の小さな付き合い、それで足りるという自己評価——を、揺らすことになる。揺らした先には、客に向ける選択肢が並ぶ。生活費以外の貯蓄をどう動かすか、保険の整理、それから言いにくいが、住替えや施設の見学。これらを玄関の三和土で出すのは、家族の作法に反する。私は「ごちそうさまでした、また来ます」と返した。
帰りの車——高速の入口の少し手前で、信号待ちの間に、私は妻に、独り言のような調子で「普通って何だろうな」と一度だけ言った。聞き返されることを、半分期待していた。妻はフロントガラスのほうを向いたまま「うちのことだよ」と返した。それで会話は終わった。ラジオが音楽番組を流していて、私はハンドルを握り直した。私が職業的に観察してきた「普通」が、義母の口でも妻の口でも、同じ機能で動いていた。私の家にも、玄関にあたる三和土がある、ということだった。
夜、机の前で——家に帰って、夕食を簡単に済ませて、妻が風呂に入っているあいだ、私は自分の部屋で、義母の家計について粗いシートを開きかけた。年金の額面を妻からそれとなく聞き出して、固定費を引いて、残額の処分の選択肢を三つ並べる。途中で手を止めた。シートを開く動きそのものが、玄関で受け取らないと宣言されたものを、別の机で受け取り直そうとしている動きだった。前にも同じ机で、同じ動きをしたことがある。妻に提案する予定のなかった、自宅の繰り上げ返済シミュレーションのときと、机の角度がほとんど同じだった。
私はファイルを保存しないで閉じた。閉じたあと、画面の暗くなった反射に、自分の顔が映っていた。十一月の夜は、机のスタンドの光だけが、白く回っていた。
——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。3稿を並置しています。