葦の、目
簾の工房に入った夏、半分通すと教わるまで

ハチスケイ(49歳・簾職人27年)

簾を編んで二十七年になる。葦や竹のひごを、絹や木綿の糸で一本ずつ綴っていく夏の建具だ。お座敷の御簾から、軒先に掛ける外掛けの日除けまで、季節が近づくと注文が来る。風と光を半分だけ通す——そういう道具を、私は半生かけて作ってきたことになる。

一九九九年の春、二十二歳で産地の工房に入った。日本の夏の風物詩というのか、軒に簾が揺れて風鈴が鳴る、あの涼やかな景色に憧れがなかったと言えば嘘になる。けれど工房に入ってまず渡されたのは、葦の束と、選別の籠だった。涼しさは、その先にあった。

葦の選別から覚えさせられた。同じ産地の同じ刈り取りでも、一本ずつ太さが違い、色が違う。節の位置も、まっすぐさも違う。それを太さの揃った組に分け、色の揃った組に分ける。簾は一枚に何百本も使うから、一本の太いのが混じると、そこだけ編み目が詰まって見える。指でつまんで、転がして、また籠に戻す。一日中それをやっていたように思う。

編み台の前に座らされたのは、ずいぶん経ってからだった。台の上の縁から、編み糸を巻いた錘がいくつも吊り下がっている。ひごを一本送るたびに、左右の錘を前へ後ろへと振って、糸を交差させて綴っていく。手と手のあいだにリズムがある。速ければいいというものでもなく、そのリズムが乱れると、目の詰まりが揃わない。最初の半年は、ただ錘を振っていた気がする。

親方に言われた言葉を、いまでも覚えている。「簾は塞ぐもんじゃない。半分通すもんだ。風は通して、視線は止める。その半分が腕だ」。塞ぐなら板を張ればいい。透かすなら何もしなければいい。その中間の、どれだけ通してどれだけ止めるかを、ひごの太さと編み目の間隔で決める。それが簾の設計だと、親方は言いたかったのだと思う。

御簾の仕事は別格だった。神社仏閣の縁を飾る簾には、房があり、縁布があり、それぞれに格式の文法がある。色の合わせ方、房の垂らし方、縁取りの幅。私のような新参が触れるものではなく、ただ親方が綴るのを横で見ていた。装飾は飾りではなく、決まりごとなのだと、見ているうちに分かってきた。

外掛けの簾は、また違う顔をしていた。軒先で雨と日に晒されるから、二夏もすれば葦は焼けて白くなり、糸が傷む。客は毎年それを掛け替えにくる。永く保つ建具ではなく、夏ごとに新しくする消耗品。それでいいのだと、張り替えの周期そのものが商売の暦になっていた。春に作って、夏に売る。注文の波が引いた冬は、ただ静かに翌夏の仕込みをする。あの冬の工房の静けさを、私はいまでも好きだ。

あの夏、私は涼しさに憧れて工房に入り、葦の太さを指で測ることから始めた。半分通すという、たったそれだけのことのために、選別があり、リズムがあり、文法があり、暦がある。半分通すことを覚えた日から、私は世の中のものを、どれだけ通してどれだけ止めているか、という目で見るようになった。半分通すことが、いまの私を作ってくれたのだろうと思う。今年も冬の工房は静かで、葦の束が出番を待っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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