ハチスケイ(49歳・簾職人27年)
簾のひごは、竹を買うところから始まる。年に数度、上物の真竹が入る日があって、その朝だけは竹屋の土間が混む。私はその日を、竹屋の親父からの一本の電話で知る。「明日、いいのが入る」。それだけだ。竹は人と人を結ぶというが、まったくその通りで、私はその一本の電話に半生をつないできたように思う。
入荷の朝は、開く前に着く。土間はまだ薄暗く、束ねたままの竹が壁に立てかけてある。常連は黙って順に並ぶ。誰が先か、口で決めることはない。前の冬から通っている顔ぶれは、互いの仕事をなんとなく知っていて、籠屋は籠屋の場所に、笊屋は笊屋の場所に立つ。私は土間のいちばん奥、節の長い真竹が立つあたりに寄る。皆が、自分の竹のある場所を体で覚えている。
その朝、同じ束を覗き込む男がいた。私が手を伸ばした束の、反対側から覗いている。年は私より少し下か。オボロサキという、和凧を作る職人だった。同じ竹屋に長く通っていながら、入荷の朝に隣り合ったのは初めてだった。私たちは同じ一束を、まったく違う目で見ていたのだと思う。
私が見ていたのは、節と節のあいだの長い、まっすぐな部分だった。簾のひごは揃いがすべてだから、一本の竹のうち、私が使うのは胴の直材だけ。元の太いところも、先の細るところも、節の暴れたところも、私には要らない。ところがオボロさんは、私が捨てる元玉のあたりを、しきりに撫でていた。「ここの反りがいいんだ」と、ひとりごとのように言った。凧の骨は、反ってくれないと空に上がらないのだという。一本の竹の中に、二つの適材があったわけだ。
後日、互いの削りを見せ合った。私は竹を割る。鉈を節に当てて、まっすぐ下ろし、四つ割り、八つ割りと、ひごの細さまで割り裂いていく。割れ目が走る方向に逆らわない。オボロさんの鉈の使い方は違った。割るのではなく、薄く削いでいく。同じ鉈で、刃を寝かせて、表の硬い層を残しながら裏を削り、火であぶって反らせる。割る私と、削いで反らせるオボロさん。同じ道具の、違う手つきだった。
商談というほどのものでもない。竹屋の親父が、淡々と采配した。私の要らない元玉と先の数本を、オボロさんの束に回し、オボロさんが使わない胴の長い一本を、私の束に足す。互いの捨てる部位が、互いの欲しい部位だった。金のやりとりはほとんど動かず、ただ竹の置き場所が土間の上で入れ替わった。親父は「こういうのが、いちばん竹が無駄にならん」と、勘定をしながら言った。
幾日かして、互いの仕事場を行き来した。私の工房では、編み上がりかけの簾が編み台に掛かっていて、オボロさんはひごの目を指でなぞって、「これは、止めるための竹だな」と言った。オボロさんの仕事場では、骨の組まれた凧が壁に立てかけてあって、私は薄く削がれた竹の反りに指を当てた。風を半分通す簾と、風に乗って上がる凧。同じ竹屋の土間から出た竹が、片方は止めるものになり、片方は上がるものになっていた。
同じ一本の竹の、二つの行き先なのだ。私の手のなかで竹は揃えられて風を止め、オボロさんの手のなかで竹は反らされて風に乗る。要らないと思っていた部位が、隣の人の核だった。竹屋の土間に並ぶということは、自分が竹のどこを見ていないかを、隣の職人に教わるということなのかもしれない。今年も上物の入る朝が近い。私はまた、あの薄暗い土間の奥に立つのだろうと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。