二限のあと、移動教室。物理室から美術室まで、廊下、五分。スリッパの底がリノリウムに、こす、こす、と当たる。
右隣にミナ。後ろから、ジュリとリオがついてきている。
「ねえ」とジュリが後ろから言った。
「もうすぐ冬休み」
「だね」とリオ。
「正月、なに食べる」とミナ。
廊下の窓から、冬の白い光が入ってきていた。
「うちはね、餃子」とミナ。
「ぎょうざ」
「年越しの夜から、家族で百個包む」
「百個」
「祖母が栃木で、ずっとそうらしいの。深夜に食べて、元日もまた包む」
「百個」とジュリがもう一度言った。
ミナはちょっと笑って、「小さいときからやってるから、あんまり、なんとも」。
「うちはおせち」とわたしが言った。
「いいやつ?」
「ううん、デパート」
「デパート、種類多くていいよね」とミナ。
「うん。お雑煮だけ、おばあちゃんが作る」
「お餅、四角い? 丸い?」とジュリ。
「四角い。しょうゆ。関東風。おばあちゃんが、毎年、出汁を引いてくれる」
「あ、関東。うちもそれ」とリオ。
「で、もうちょい先に、春節があって、母が餃子を作る」とわたしは続けた。
「あ、ハナも、餃子なんだ」とミナ。
「ハナのママ、北京、だよね」とジュリ。知ってる。
「うん、北京」
「ミナと、皮、競争できるじゃん」とリオが笑った。
「うちは皮、買うほうだから、競争にならない」とわたしは笑い返した。
「うちは一日と二日で違う」とジュリ。
「二日はトック」
「とっく?」
「白くて丸い、薄切りの餅。スープに入れる」
「初めて聞いた」とミナ。
「父の家がそうだから。母方は普通の日本だから、まざる」
「あー、まざるよね」とリオ。
「リオは?」
「父がデンマーク。クリスマスから三十一日まで、家族でデンマーク料理」
「で?」
「一日からおせち」
「切り替わる」
「お雑煮の前に、ニシン」
「ニシン」とミナがおうむ返しに言った。
「年明けも、ちょっとデンマーク残ってる感じ。まあ、まざってる」
ジュリがリオを横目で見て、「まざってるよね」とちいさく笑った。
スリッパの音が、まだ続いている。
廊下の角を曲がった。美術室の戸が、もうすぐそこに見える。
「いいね、それぞれ」とミナ。
「いいねー」とジュリ。
「ちょっと多めに、おせち作ろうかな、うちも」とリオ。
四人とも、「いいねー」のかたちを、ちゃんと、ちゃんと、揃えて返した。
戸の前で、ふっと、頭の中で、四つの台所が、一瞬だけ並んだ。
ミナの台所には、百個の餃子の皮が並んでいる。手が、たぶん、何人ぶんか動いている。ジュリの家には、白い丸い餅が、スープのなかで揺れている。リオの家には、十二月から一月へ、ニシンの橋がかかっている。わたしの家には、デパートの重箱と、おばあちゃんのお雑煮、それから、もう少し先にある、母の餃子の皿。
四つの絵。ぜんぜん違う。けれど、ぜんぶ、お正月。うちのは、おせちと、お雑煮と、春節の餃子で、三つになっちゃうけど、それも、まあ、お正月の続き、ということで。
誰も、深いところには、踏み込まなかった。踏み込まなくていい場所だった、ということだと思う。深いところは、それぞれの家に、ちゃんとあるから。
美術室の戸が開いた。
それぞれ、別の席に、散っていった。
窓の外の、白い光は、まだ、続いていた。
→ 第二稿:移動教室の、お正月(v2・書き直し)
→ 研究室4人による建設的批判
→ 雑談 #2:移動教室の、餃子の皮
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本作は山田花・移動教室の雑談シリーズ #1。山田花、高校二年三組、移動教室の五分間。物理室から美術室までの廊下で、ミナ・ジュリ・リオの三人と、お正月の献立の話になる。ミナは餃子百個(祖母が栃木)、ジュリはトック(父が在日コリアン三世)、リオはデンマーク料理からおせちに切り替わる(父がデンマーク人)、花はデパートのおせち+お祖母ちゃん(由紀子)の関東風お雑煮+春節の母(暁明、北京出身)の餃子の三つの組み合わせ。誰も深いところには踏み込まない。「いいねー」のかたちで返す。それでも、戸の前で、ふっと、四つの台所が一瞬だけ並ぶ。深いところは、それぞれの家にちゃんとある。だから、廊下では、踏み込まなくていい。花のシリアス系(花のノート)と同一人物。