三限のあと、移動教室。英語の教室から地学の教室まで、廊下、四分。スリッパの音が、また始まる。
左にリン、右にミナ、後ろにリオ。
リンが、ふっと言った。
「うちの祖父、日本のテレビ見てて、よく言うんだよね」
「なに」
「『日本の餃子は皮が薄すぎる』って」
ミナが「えっ」と振り返った。
「中国のは、厚いから。あれは点心。日本のは、おかず」とリン。
「祖父さん、北京?」
「うん、北京。一年に一回くらい行く」
「うちの餃子、たぶん、皮、厚いほう」とミナ。
「家で包むの?」
「百個、毎年」
「百個」とリンが言って、笑った。
「中国でも、家で包む人、いるの?」
「いるけど、最近は買うほうが多いって、祖母が嘆いてる」
「あ、嘆いてる」とリオ。
「祖父、日本のテレビ見てて、若い俳優を指して、ときどき言うの」
「なに」
「『この子は、中国人みたいな顔』って」
「えー、わかるんだ」
「祖父は、わかるって。私は、わからない」
「リン、見てもわからない?」
「ぜんぜん。日本人と中国人、顔だけじゃ見分けられない」
「祖父さんの世代は、見えるんだね」
「見ようとしてる、っていうのが、たぶん、近い」
「リン、北京帰ったら、日本人っぽいって言われる?」
「言われる、しょっちゅう」
「なんで?」
「歩き方、話し方、声の大きさ。それと、お辞儀する癖」
「お辞儀」
「自分でも、気づかないうちに、ちょっとしてるらしい」
「あー、わたしも」とわたしは言った。
リンが横を見た。「あ、ハナも、夏に北京、行ってたよね」
「うん、母方の祖父母」
「言われる?」
「言われる。お辞儀、してるらしい、わたしも」
ミナが「ふたりとも、北京組じゃん」と笑った。
「あー、まざるよね、ハナも」とリオ。
「まざる、わたしも」とわたし。
「まざる、これも」とリン。
「祖母が、ときどき言うんだよね」
「うん」
「『日本は、隣の家みたい』って」
「隣?」
「近いから、見えそうで、ぜんぶは、見えない。窓のなかで、誰かが料理してるのは、わかる。何作ってるかは、わからない」
「あー」
「で、ときどき、いい匂いだけ、こっちに来る、って」
スリッパの音が止まった。地学室の戸が、もうすぐそこ。
「いい匂い、いいねー」とミナ。
「いいねー」とリオ。
わたしも「いいねー」と返した。
四つの「いいねー」が、廊下に揃った。
戸の前で、ふっと、ふたつの北京のリビングが、頭のなかで、薄く重なった。
リンの祖父母の家。テレビの画面で、日本の俳優の顔を、じっと見ている祖父。台所で、餃子の皮を、厚めに伸ばしている祖母。
わたしの母方の祖父母の家。これも北京。テレビは別の俳優を映している。台所では、別の祖母が、別の皮を伸ばしている。
ふたつのリビングは、たぶん、同じ街のちがう区にある。会ったことはないけれど、向こう側で、似たようなことが、起きている。
窓の向こうから、誰かの料理の匂いが、薄く流れてくる。誰の家の匂いかは、わからない。
近いのに、ぜんぶは、見えない。見えなくて、いい、ということだと思う。見えなくて、それで、隣に、いる。
地学室の戸が開いた。それぞれ、別の席に、散っていった。
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→ 研究室4人による建設的批判
→ 雑談 #3:移動教室の、雨の日
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本作は山田花・移動教室の雑談シリーズ #2。三限のあと、英語から地学へ、廊下で四分。王リン(父が中国人・北京、母が日本人)の祖父の話で、日本の餃子の皮が薄すぎる、という観察から始まる。中野ミナの百個の家庭餃子。日本のテレビで若い俳優を見て「中国人みたいな顔」と言う祖父の世代。北京に帰るとお辞儀の癖で「日本人っぽい」と言われるリン。花も母方が北京で、夏に行くと同じことを言われる。リオが「まざる」と返す。祖母のことば、「日本は、隣の家みたい。近いから見えそうで、ぜんぶは見えない。窓のなかで誰かが料理してるのは、わかる。何作ってるかは、わからない。ときどき、いい匂いだけ、こっちに来る」。地学室の戸の前で、花の頭のなかに、ふたつの北京のリビングが薄く重なる。近いのに、ぜんぶは、見えない。見えなくて、それで、隣に、いる。花のシリアス系(花のノート)と同一人物。