砥の粉の、色
修業一年目、家ごとの色を合わせると教わった日

ハナブササカエ(67歳・桐箪笥の修理職人42年)

桐箪笥を直して、四十二年になる。新しく作るのではなく、すでにある箪笥を預かって、洗い、削り、仕上げ直す。洗い替え、と言う。嫁入り道具だった箪笥を、その娘さんの代に、あるいは孫の代に直すこともある。預かるとき、引き出しを一段ずつ抜いてみると、滑りの具合で、その箪笥が置かれていた部屋の湿り気がわかる。

修業を始めたのは一九八四年、二十五歳のときだった。それまで勤めていた会社を辞めて、親方の工房の戸を叩いた。遅い弟子だった。木のことなど何も知らなかったが、桐の白い肌に鉋をかけると、しゅるしゅると薄い屑が出てきて、その下から、まるで木が語りかけてくるような新しい面が現れる。それが面白くて、続けてしまったのだと思う。

洗い替えというのは、表面の汚れた層を、薬品と湯で洗い落とすところから始まる。何十年分の手垢、煤、日に焼けた色。それを洗うと、灰色にくすんでいた箪笥が、思いがけず白く戻る。だが洗っただけでは終わらない。傷んだ面を鉋で削り直し、金具を外して打ち直し、最後に砥の粉を塗って、桐の色を整える。砥の粉というのは、砥石を切るときに出る粉を、水で溶いたものだ。

修業を始めて一年ほど経った頃だったと思う。ある旧家から預かった箪笥の仕上げを、初めて任された。私は張り切って、砥の粉をできるだけ薄く溶き、桐がいちばん明るく見える色に仕上げた。新品のように白く、美しく仕上がったと、自分では思っていた。親方に見せると、しばらく黙って眺めてから、こう言った。「砥の粉の色は、家ごとに合わせろ。新しすぎる色は、その家の他の家具と喧嘩する」。

その意味が、すぐにはわからなかった。きれいに仕上げて、何が悪いのか。親方は、私が仕上げた箪笥をその家に納める日、一緒に来いと言った。座敷に箪笥を据えると、なるほど、と思った。床の間の古い違い棚、長押の色、畳の焼け。その中で、私の白すぎる箪笥だけが、ひとり浮いていた。新品の顔をして、その家の時間に馴染んでいなかった。直すというのは、新品に戻すことではなかったのだ。

洗い替えで戻ってくるのは、新品ではない。その家の箪笥の、きれいな姿だ。だから砥の粉は、その家の他の家具とけんかしない色に、少しくすませて合わせる。親方はそれを「枯らす」と言った。私はその日から、納める家の座敷を必ず見せてもらうようになった。箪笥そのものより、それが帰っていく部屋のほうを、先に見る。

箪笥を預かると、いろいろなものが出てくる。引き出しの底には、たいてい樟脳の匂いが沁みついている。桐の隙間に隠し箱が仕込んであることもあって、そこから手紙や写真が出てくる。私たちは、それを開けない。出てきました、とだけ施主に知らせて、そのまま渡す。中身を見るのは私の仕事ではない。何が入っているかは、その家の人だけが知っていればいい。これは、誰に教わったわけでもない作法だ。

焼け焦げや、水濡れの跡が残っていることもある。火事から運び出された箪笥、水害をくぐった箪笥。そういう跡を、消すか残すか。これは私が決めることではないので、必ず施主と相談する。消してほしいという人もいれば、残してくださいという人もいる。残してくれと言う人は、たいてい、その跡にまつわる話をひとつ、私に聞かせてくれる。箪笥は、その家の歴史を、木目の奥に静かに記憶しているのだと思う。

あの日、親方に「家ごとに色を合わせろ」と言われてから、私はずっと、箪笥そのものより、箪笥の向こうにある家のほうを見てきた。気づけば四十二年、私は数えきれない家の、洗い替えという観察者になっていた。あの砥の粉の色が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も工房では、湯が静かに湯気を立てている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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