核は強い。常連の訃報を「父がいつもお世話になりました」という息子の来店で知ること、亡父の「いつもの」を息子の頭でもう一度なぞること、初散髪の毛を薄い紙に包んで渡すこと、そして三代の頭の形が似ていると鋏だけが知っていること。この四点で一本立つ。問題は、書き手がその四点を信用せず、鋏の音や時間の流れといった書き割りで枠を作り、最終段で「鋏は家系の記憶を継ぐ証人だ」と全部を解説して回収してしまっていることだ。とりわけ惜しいのは、月一の頭の観察者であるはずのこの語り手が、いちばん見ているはずの初散髪と訃報の現場で、手の具体を曖昧にしていること。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「父の頭を刈り、息子の頭を刈り、孫のバリカンデビューに立ち会う。私はこの椅子の後ろで、一つの家の時間そのものを刈り続けてきたのだ。」
三行で店の三代を要約し、自分の三十五年を「時間そのものを刈ってきた」と総括して終わっています。これはどの老舗床屋の美談にも貼れる汎用シールで、ハナワキョウコである必然がない。前作「月一の、頭」の結びと同じ轍で、観察を積み上げた末に作者が答え合わせをしてしまっている。読者が三代の頭から自分で受け取るべきものを、先に言葉にして渡してしまった。
「鋏は、ただの道具ではない。それは家系の記憶を、世代から世代へと継いでいく、静かな証人なのだと、いまでは思う。」
これは観察ではなく、観察の意味を言い当てようとした標語です。「家系の記憶」「静かな証人」は、生成文が情緒を安く調達するときの常套句で、三代の頭の形が似ているという生身の事実を、抽象名詞でくるんで台無しにしている。この語り手が本当に鋏を握ってきたなら、出てくるのは「記憶」や「証人」ではなく、二番のアタッチメントを当てる角度か、つむじで刃を返す手の癖のはずです。道具を持つ手が、道具を比喩にしてしまっている。
「血というのは、注文のなかにも流れているのかもしれない、とそんなふうに思ったりする。」「ああ、この人もいつか、息子さんに連れられて来た日があったのだろうな、と思えてくる。」
「いつもの」を手が覚えていて、つむじの巻きで誰の息子かを言い当てる――そういう断定で生きてきた職人の回想が、「かもしれない」「のだろうな」「思ったりする」で薄まっている。これは迷っている人物の心理ではなく、言い切りを避ける作者の保険です。とくに最初の引用は、亡父の注文を息子の頭でなぞるという、このエッセイで最も強い事実のすぐ横に置かれているのに、「思ったりする」で自分から手応えを下げている。
「初めての散髪では、刈った毛を少しだけ、薄い包み紙にくるんでお渡しする。」
「薄い包み紙にくるんで」は手順の説明であって、観察ではない。実際に毎月この習慣をやっている人間なら、紙の種類か、どれだけの量を、どこの毛を取るのかが出るはずです(後ろのやわらかいところを一房、半紙で、など)。柔らかい産毛は静電気で紙にまとわりついて、なかなか中央に集まらない――その手こずりこそが、この語り手にしか書けない一行です。いまの文は、誰でも書ける「記念に毛を包む床屋」の概念どまりになっている。
「三代の頭が似ていることを、たぶん私の鋏だけが知っている。」
これ自体は良い一行で、核の一つです。ただし問題は、この直後の最終段がまた「家系の記憶を継ぐ証人」と同じことを抽象語で言い直していることだ。せっかく「鋏だけが知っている」で着地できているのに、作者がそれを信用せず、もう一段の解説を重ねて値打ちを下げている。同じ主題を二度言えば、一度目の鋭さが二度目の説明に吸われる。締めは「鋏だけが知っている」で止めるべきでした。
「理容店の客というのは、不思議と家系で続いていくものだ。」「血というのは、注文のなかにも流れているのかもしれない」
冒頭の一文は、エッセイの主題をいきなり主題文として宣言してしまっている。これは三代続く店を題材にした文章なら、どれにでも置ける一般論です。「血は注文のなかにも流れている」も、前作で「血は頭にも流れている」「血は、剃刀の先にも流れている」と二度使った言い回しの三度目で、いよいよ手癖になっている。同じ書き手の常套句が回を追うごとに繰り返されると、観察ではなく文体の自動運転に見えてきます。
「私はたいてい、「長いことありがとうございました」と、お父さんではなく、過ぎた時間のほうに頭を下げる。」
「過ぎた時間のほうに頭を下げる」は、聞こえはいいが、頭のなかだけで起きている文学的な所作です。理容師の体は、その瞬間どこにあるのか。鋏を拭く布を握っていたのか、息子に椅子を勧めようとしていたのか、亡父の「いつもの」のために伸ばしかけた手が止まったのか。挨拶への返しに迷う、というこのエッセイで一番生々しい場面が、抽象的な「頭を下げる」で処理されている。動作が書けていないので、職人の戸惑いではなく、作者の感傷に見えてしまう。
残すべきは四つ。息子の来店で届く訃報、亡父の「いつもの」を息子の頭でなぞる手、初散髪の毛を包む手こずり、そして「鋏だけが知っている」三代の頭の形。削るべきは、冒頭の主題宣言、留保語尾、「血は注文のなかにも流れている」の手癖、そして「家系の記憶を継ぐ証人」という最終段の解説だ。改稿では、訃報を受ける場面を「頭を下げる」ではなく止まった手の動作で書き、初散髪の毛は紙にまとわりつく産毛として書いてください。締めは「鋏だけが知っている」で止めること。意味は手が運ぶ。標語が運ぶのではない。