ハリマセイジ(55歳・塗師33年)
漆を塗っては研ぎ、塗っては研ぐ。それを三十三年続けてきた。一つの椀が仕上がるまでに、下地から上塗りまで何十もの工程があって、塗っては乾かし、研いではまた塗る。早くて三月、ものによっては半年かかる。漆という塗料と、私はずいぶん長く付き合ってきたものだと思う。
弟子入りしたのは一九九三年、二十二歳の春だった。漆器の産地に、塗師の親方を訪ねた。親方の仕事場には、漆黒の艶をたたえた椀がいくつも並んでいて、その底知れぬ深みに、私はしばらく言葉を失っていた。漆だけが持つ、あの神秘的な黒。これを自分の手で出せるようになりたいと、その日に思った。
最初に教わったのは、漆風呂——湿度を保つための戸棚——の管理だった。塗ったばかりの椀を、ここに入れて寝かせる。私は不思議でならなかった。塗料を乾かすのに、なぜ湿った戸棚に入れるのか。乾いた日に乾かした方が早いのではないか、と。親方は、温度計と湿度計を毎朝つけている帳面を見せながら言った。「漆は乾くんじゃない。固まるんだ。湿気が要る。乾燥した日に漆は動かない」。塗りの半分は、この戸棚の管理なのだと。
弟子入りして一月もしないうちに、漆かぶれの洗礼を受けた。腕といわず首といわず、赤く腫れ上がって、夜も眠れない。先輩に泣きつくと、笑って言われた。「誰もが通る道だ」。慣れる体質と慣れない体質があるらしく、私はどうやら慣れる側だった。ひと夏越えるころには、かぶれなくなっていたように思う。
刷毛の手入れも、毎日のことだった。上等の刷毛は、人の毛で作る。女性の髪を集めて作るのだと聞いて、はじめは驚いた。使い終われば油で洗い、毛先を整えて寝かせる。一本が職人の月給ほどもすると知って、私は刷毛を持つ手が震えた。毛先がほんの少しでも狂えば、塗り面に筋が残る。道具を粗末にする者は、いい仕事はできない。
いちばん神経を使ったのは、上塗りの部屋だった。仕上げの一塗りは、別室で行う。なぜなら、埃が大敵だからだ。空中にただよう一粒の埃が漆面に落ちれば、それまで何月もかけた椀が、その一粒で台無しになる。だから上塗りの部屋では、所作のすべてが、埃を立てないためにある。足を擦らない。袖を払わない。息さえ、静かに。私はこの部屋に入るたび、自分の体が大きすぎるように感じたものだ。
研ぎの作業も覚えた。塗っては研ぎ、塗っては研ぐ。研ぎには炭を使う。水をつけて、塗り面をひたすら研ぐ。しゃり、しゃり、という音が、仕事場に静かに響いていた。あの音を聞いていると、心が落ち着いたのを覚えている。
何年か経って、直しの仕事も任されるようになった。長く使われて艶の褪せた椀が、客から持ち込まれる。それを塗り直すと、椀は見違えるように蘇る。使われた漆器というのは、艶の褪せ方にも、その家の暮らしが出るものだ。新しく塗るのとは違う、不思議なやりがいが、直しにはあった。
あれから三十三年。私はいつのまにか、湿度の観察者になっていた。朝起きれば、まず空気の湿り具合を肌で測る。雨の日は気分がいい。漆がよく固まるからだ。塗りとは、塗料を乾かす仕事ではなく、湿度と付き合う仕事なのだと、いまでは思う。あの春、漆風呂の前で覚えた不思議が、私をいまの私にしてくれた。仕事場の漆風呂は、今日も静かに椀を抱いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。