核は強い。空席にぽつんと座るビデオ三脚の横の母親、膝に手提げを置いた祖母、床に膝をついて貼る色分けのバミリ、客席から飛んでくる「もう少し前へ」「もう半歩」という照明合わせの声。この具体だけで一本立つ。問題は、書き手がその具体を信用せず、「海のように静かだ」式の借り物の比喩で場面を立ち上げ、最終段で主題を三度も言い直して回収していることだ。とりわけ惜しいのは、舞台係という手を動かす職業を語り手にしながら、肝心の作業の手つきが途中で抽象に逃げること。職業エッセイは、職業の手つきがぼやけた瞬間に全部が嘘に見える。
「リハーサルの客席は空っぽだったが、空っぽではなかった。それが、舞台係十六年で私が知ったことのすべてなのかもしれない。」
「十六年で私が知ったことのすべて」は、どの職業回想エッセイの末尾にも貼れる総括の判子で、ヒビノカオルである必然がない。しかも「空っぽだったが、空っぽではなかった」という逆説は、本文がすでに見せた三脚の母親と手提げの祖母で完全に証明済みのことを、わざわざ抽象語で言い直しているだけだ。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めている。デビュー作の「あの春の一日が、私をいまの私にしてくれた」で一度叱られたはずの型が、また出ている。
「リハーサルにも、本番があるのだ。空っぽの客席にも、たった一人の観客がいるのだ。本番ではないものなど、本当はどこにもないのだ。」
同じことを三回、語尾を「のだ」で揃えて畳みかけている。これは余韻ではなく、念押しの説教だ。一回で十分どころか、本当はこの三文すべて不要で、震える独唱の声と固まった本番の沈黙が、すでに主題を運び終えている。主題をテーゼ文として書いた時点で、それはエッセイではなく要約になる。三文のうち最も弱いのは三番目で、「本番ではないものなど、本当はどこにもない」は格言の口調を真似ているだけで、この語り手の肉体を通っていない。
「リハーサルの客席は、海のように静かだ。」
「海のように静かだ」は、空席の静けさを安く調達する既製の直喩だ。この書き手が本当に十六年その客席を見てきたなら、出てくるのは海ではなく、跳ね上がった座面が一列に上を向いている形か、作業灯の下で見える背もたれの布の色あせか、空調の低い唸りのはずだ。実際、すぐ後に「座面が等しく上を向いて」という本物の観察が来る。だったら海はいらない。比喩が、観察より先に立ってしまっている。
「その一人の客席が、満員の客席と同じ重さだったのだと思う。」/「あの春の一日が——」(※デビュー作の癖の再発)
舞台係は、きっかけを「思う」では出さない。何秒に緞帳を倒すか、どの足元に十字を貼るか、ミリ単位で決めて手を動かす職業だ。その人物の回想が「〜だと思う」「わかったためしがない」「知ったことのすべてなのかもしれない」と留保で満ちているのは、怯えた語り手の心理ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。少女の声が震えていたという観察は断定でよい。重さを推し量るのは作者の仕事ではなく、震えた声という事実に任せればいい。
「進行表を手に、舞台監督が「はい、次、三番」と声をかける。」
「進行表を手に」は概念であって観察ではない。十六年その進行表を覗いてきた人間なら、何が書いてあるかを一つ出せるはずだ——演目名と分の見積もり、暗転の位置、赤線で消された削りの跡。場当たりの進行表は、本番の進行表と違って書き込みだらけのはずで、その汚れこそが「リハーサルが本番ではない」ことの物証になる。台詞「はい、次、三番」は良い。だが進行表そのものは、まだ見られていない。
「テープは色で分けてある。緑がピアノ、黄が司会、青が合唱の前列。」/「本番でその十字は、衣装の裾に隠れて、客席からは見えない。」
ここは本作で最も良い段で、色分けの宣言も、隠れて見えない十字も、職業の手つきが効いている。だからこそ惜しい。せっかく色のコードを宣言したのに、その色が後段で一度も効かない。たとえば本番で固まった独唱の子が立っていたのが「緑の十字」だった、と書けば、リハーサルの作業と本番の沈黙が一本の線でつながる。デビュー作のレビューで「装置をいちばん効く場所で使っていない」と言われたのと同じ穴に、また落ちている。
「なぜそうなるのか、私にはわからない。わかったためしがない。」
この二文は、教師の回想にも、料理人の回想にも、コーチの回想にもそのまま置ける汎用文だ。わからないなら、わからないなりに袖で何を見ていたかを書けばいい——固まった子の手の指がマイクを握りしめていたのか、揃った合唱の指揮者の腕が前日より低く動いていたのか。観察を書かずに「わからない」とだけ言うのは、思考を放棄したのではなく、観察を放棄している。
残すべきは五つ。三脚の横に座るビデオの母親、膝に手提げを置いた祖母、色分けされたバミリと衣装に隠れる十字、客席から飛ぶ「もう少し前へ」「もう半歩」、そしてリハーサルで震えた声と本番で固まった沈黙・揃った合唱の対比。削るべきは、海の直喩、留保語尾、最終段の三連の主題解説。改稿では、色のコードを本番の沈黙の場面で回収し(固まった子は「緑の十字」の上にいた)、場当たりの進行表の書き込みを一行で見せて「リハーサルが本番ではない」ことの物証にしてほしい。意味は色とテープと書き込みが運ぶ。「のだ」が運ぶのではない。