ヒビヤタクマ(44歳・歯科技工士22年)
年に一度、補綴技術の研究会がある。会えない患者の代わりに、体の一部を作る人間と一日だけ机を並べる日だ。今年は会場の都合で、歯科技工と義眼技師が同じ部屋に通された。隣の班が眼を作る人たちだと、私は名簿を見るまで知らなかった。
受付で「タクマさん」と呼ばれて顔を上げたら、机を二つ挟んだ向こうから、別の人も顔を上げた。五十くらいの、手の大きな人だった。係の人が名簿を二度見て、二枚の受講票を取り違えそうになっていた。ヒビヤタクマと、ヒジリタクマ。義眼を作って二十六年だという。私たちは一字違いの席札を、それぞれ自分の前に置いた。
休憩で、ヒジリさんが義眼の見本を出した。表面の虹彩は、手で描いてあった。茶色の地に、極細の面相筆で放射状の線が一本ずつ入れてある。下絵を描いては透明レジンを薄く焼き付け、その上にまた線を足す。何層も重ねて、奥行きを出すのだという。しかも色合わせは片方だけだ。残っている健眼を見て、その茶色に合わせる。世界に一つの色見本が、本人の顔の上にある。私は思わず、自分の前歯のシェード合わせの話をした。医院から届く一枚の写真と、ガイドの番号。会えない私は、写真の中の光から色を当てる。会えるヒジリさんは、目の前の眼から色を採る。同じ色合わせなのに、片方には本人がいて、片方にはいなかった。
道具の話で、距離が縮まった。ヒジリさんもレジンを使う。私が入れ歯の床に使うのと同じ、アクリル系の樹脂だ。研磨も、粗い番手から細かい番手へ送って、最後はバフで磨く。違うのは住む場所だった。私のレジンは唾液と咀嚼の中で何年も働く。ヒジリさんのレジンは、まばたきと涙の中で働く。同じ缶から出した素材が、湿った口の中と、湿った眼窩という、別々の部屋に収まっていく。
ヒジリさんが訊いた。「会えないのは、こわくないですか」。義眼は本人の眼を見て、その場で色を採る。会って、見て、描く。私はその逆で、型と指示書だけが届く。私はうまく答えられなかった。会わないことに慣れて二十二年、それをこわいと考えたことが、なかったのだ。私は咬合紙の青い点の話に逃げた。当たりが高ければ作り直す、それだけを頼りに、会わない口の中を当ててきた、と。
午後、互いの検品の目を見せ合った。私は咬合器に固定した模型に咬合紙を噛ませて、ヒジリさんに見せた。当たった点に青がつく。点が一面に集中していれば、そこが高い。ヒジリさんは青の点に顔を近づけ、「これは色の濃いところが高い、ということですね」と言った。今度はヒジリさんが、健眼の写真と義眼を並べて私の前に置いた。光を窓側に振り、また蛍光灯に戻す。光が変わるたびに、義眼の茶色が健眼から少しずれて、また寄る。「この光のとき、ここだけ赤が足りない」。私には、その差がぎりぎり見えなかった。私が高さを青い点の濃さで読む隣で、ヒジリさんは色のずれを光で炙り出していた。物差しはミクロンと色相で、まるで違う。なのに、点を一つ見つけて離さない目つきが、同じだった。
私の歯は嚙めなければ作り直しだ。機能が先にある。ヒジリさんの眼は嚙まない。見られて分からなければ、それでいい。外見がすべてだ。それなのに、よく嚙める歯は自然に見え、自然に見える眼はよく馴染む、とヒジリさんは言った。私は咬合紙の青い点を思い、ヒジリさんは虹彩の赤を思っていた。違う物差しの先で、私たちは同じ一点を直そうとしていた。
終わりに名刺を交換した。ヒビヤタクマと、ヒジリタクマ。一字違いの紙が、机の上に二枚、並んだ。私はそれを言葉にしなかった。帰りの電車で、爪のあいだの石膏の粉を見ながら、ヒジリさんの面相筆が一本ずつ線を入れていく手を思い返していた。私はその眼を見たことがない。ヒジリさんは、私の作った歯を見たことがない。