ヒビヤタクマ(44歳・歯科技工士22年)
歯を作って二十二年になる。被せ物も詰め物も作るが、いちばん手のかかるのは総入れ歯だ。歯が一本もない口の、噛む道具をまるごと作る。患者には会わない。会わないまま、その人の毎日の食事を支える道具を、石膏の上で組み立てていく。
総義歯には、支えになる歯が一本もない。被せ物なら隣の歯と相手の歯が形を決めてくれるが、総入れ歯は何もないところから始まる。頼りになるのは粘膜の形だけだ。届いた模型は、歯のない歯ぐきの形がそのまま石膏になっている。私はその起伏を、入れ歯を吸い付かせるための地図として読む。山と谷の、どこに力を逃がし、どこで吸盤のように密着させるか。歯のない口の設計は、粘膜の設計から始まる。
咬合床という、蝋の土台を作る。まだ人工歯は並んでいない、高さを測るためだけの蝋の台だ。これを医院へ送り、患者の口で噛んでもらう。高さが合えばいいが、たいてい一度では合わない。「もう少し低く」「正中がずれている」と書かれて戻ってくる。私は蝋を温め直し、削り、足し、また送る。会えない私と、椅子に座った患者とのあいだを、蝋の台が何度も往復する。蝋の段階だから、いくらでも直せる。直せるうちに直しておく、というのが土台の仕事だ。
高さが決まると、ようやく人工歯を並べる。ここが入れ歯のいちばん難しいところだと思う。前歯をどこに置くかで、その人の顔の真ん中が決まり、笑ったときの見え方が決まる。歯並びの設計は、半分は人相学だ。男性なら少し角ばった歯を、年配の方なら少しすり減った形を選ぶ。揃いすぎた白い歯を並べると、かえって入れ歯だと分かってしまう。会ったことのない顔を、模型と一枚の写真から想像して、その人らしい歯の見え方を作っていく。
並べ終えたら、床を仕上げる。粘膜に当たる裏側の面を、舌が触れる内側を、ひたすら磨く。表は多少ごつくても許されるが、裏側だけは別だ。一日中、舌がそこを撫で続ける。ざらつきが一点でもあれば、その人は四六時中それを舌先で確かめてしまう。研磨は地味な工程で、削る山場のような達成感はないけれど、入れ歯を一日支えるのは、この見えない裏側の滑らかさなのだと思う。
入れ歯は、修理でも持ち込まれる。割れた、欠けた、と医院から急ぎの連絡が入る。被せ物なら数日待てるが、入れ歯はそうはいかない。それがないと、その人は今日のごはんが食べられない。即日修理は、私の机のすべてを止めて先にやる。割れた断面を合わせ、レジンで継ぎ、磨いて、その日の便に間に合わせる。「ないと食べられない」という緊急性だけは、会えない私にもまっすぐ届いてくる。
もう一つ、複製という仕事がある。長年使ってすり減った入れ歯を、医院が「同じ形で作り直してほしい」と送ってくる。新品の理想の形ではなく、その人が二十年かけて慣れた形を、そっくり写すのだ。すり減りも、舌で削れた縁も、そのまま複製する。理想の歯並びを押し付けるより、慣れた形を変えないほうが、その人はよく食べられる。古い入れ歯には、その人の口が長い時間かけて教え込んだ知恵が、形になって残っている。
総入れ歯は、被せ物のように口の一部を直すのではない。歯のない口の、噛むという働きをまるごと預かる道具だ。朝も昼も夜も、その人の口の中で働き続ける。会ったことのない人の口で、私の作ったものが毎日働いている。会わない患者の口の中で働くのが、技工という仕事なのだ。今日も机の上には、歯のない歯ぐきの石膏模型が、静かに置かれている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。