シミの、履歴(第二稿)
クリーニング店一年目、シミの観察者になるまで

ヒジカタアン(53歳・クリーニングのシミ抜き職人31年)

作業台には薬剤の瓶が並んでいる。ベンジン、しゅう酸、過酸化水素。油性を溶かすもの、サビを抜くもの、色素を切るもの。シミ抜きは、どれか一本を選ぶことではなく、何のシミかを決めてから、その一本に手を伸ばすことだ。分類を間違えれば、その後の薬剤は全部無駄になる。

シミには種類と時間がある。水性か、油性か、たんぱく質か。そして、いつ付いたか。新しい醤油と、一週間経った醤油は別物だ。時間が経つと、シミは繊維と結びつく。だから持ち込まれた服を見て、私はまず二つを当てる。何のシミか。いつのものか。

一九九五年の春、二十二歳でこの店に入った。最初の数週間、襟元に茶色いシミの付いたワイシャツを持ってきた客に、私は尋ねた。「これは何のシミですか」。客は首をかしげた。「さあ、いつ付いたか……」。覚えていなかった。師匠が横から言った。「シミに聞くな、客に聞け。でも客は覚えていない。だから服に聞け」。

服に聞く、とはこういうことだった。袖口に付いていれば、手首から垂れたもの。前身頃の中央なら、口から落ちたもの。にじみの輪郭が固ければ、付いてすぐ乾いた。外側に黄ばんだ輪があれば、前に誰かが水で叩いて、油分だけ残した跡だ。あのワイシャツの茶色は、輪郭がぼやけ、外に薄い輪があった。古い汗じみに、客が自分で水を含ませた跡。客は忘れていたが、服のほうが覚えていた。

その夏、血液のシミを温水で洗って、固めた。たんぱく質は熱で凝固する。冷水で叩けば動いたはずのものが、私の手の中で繊維にこわばって、綿棒で押すと、ざらりと爪に引っかかるようになった。一度凝固した血は、もう色素が動かない。落とせなくしたのは、シミでも時間でもなく、私の手だった。

秋に、師匠が年配の女性に白いブラウスを返すのを見た。襟の黄ばみだった。皮脂が酸化して茶色く焼けたもので、付いてから何年も経っている。師匠は綿棒に過酸化水素を含ませ、目立たない裏襟で試していた。色はじわりと動いて、途中で止まった。これ以上当てれば、生地のほうが先に薄くなる。「ここまでが限界です」。女性はしばらく襟を見て、「ここまで薄くなれば十分です」と言った。落とせないものを預かって返すときの、台の前の沈黙を、私はそのとき初めて知った。

その日から、私の見方が変わった。客が持ってきたのはシミではなく、シミの履歴だった。何のシミで、いつ付いて、誰がどう手を入れたか。落ちるか落ちないかは、私が決めるのではない。種類と時間が、もう決めている。私はそれを読んで、客に伝えるだけだ。「落ちます」か、「ここまでです」か。

三十一年で落とした数は覚えていない。覚えているのは、落とせなかったほうだ。固めてしまった血のこわばり。茶色く焼けた襟。そして、それを薄くして返したとき、客が「十分です」と言ってくれた声のほうだ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。