ヒジリタクマ(50歳・義眼技師26年)
義眼を作って二十六年になる。最初の半年は、ひたすらアクリルを磨いていた。削り粉が爪の間に入り、夕方には指紋がつるつるになって、定期入れのICカードに反応しなくなる。それが、私のこの仕事の最初の記憶だ。
二〇〇〇年、二十四歳で名古屋の義眼製作所に入った。義眼はできあいの品を選ぶものだと思っている人が多いが、一人ずつ違う。まず眼窩の型を採る。印象材をくぼみに流し込み、固まるまでの三分ほど、その人はまぶたを閉じて、じっと座っている。誰もが少し、息を浅くする。くぼみの形はふたつとして同じものがない。その器に合わせてアクリルを盛り、リューターで削り、目の細かい研磨剤で磨く。磨き終わりは、表面に蛍光灯の管がまっすぐ一本、歪まずに映ったときだ。
いちばんむずかしいのは虹彩だった。残っているほうの目を見て、瞳の輪を描き写す。私は最初、絵の具を一色溶いて、見たままの茶色を一筆で塗った。出来あがった虹彩は、平らな茶色いボタンのようだった。似ていなくはない。だが、目には見えなかった。
師匠はそれを光にかざして言った。「そっくりに描くな。生きてるように描け」。それから、「瞳の色は一色じゃない。何層も重ねろ」。私は装用者の残ったほうの目に、初めて顔を近づけた。瞳は一色ではなかった。瞳孔から外へ、放射状の細かい筋が走っている。瞳孔のすぐ周りには、一段濃い色の輪がにじむ。明るいところと陰とで、同じ茶でも違う。左右の目さえ、同じ色ではなかった。
描き方を変えた。下塗りに、見た目より一段灰色がかった色を置く。乾かす。その上に瞳の地の色を薄く重ね、乾かす。三層目で、細い面相筆の先をほとんど乾かして、放射状の筋を一本ずつ入れる。瞳孔の輪は最後。仕上げに透明なアクリルを被せると、層の奥行きで色が動いて見える。一色で塗ったボタンが、湿りを持った。
装用者の多くが気にするのは「目線」だった。義眼は、生きた目ほど動かない。だから視線がわずかにずれる瞬間がある。前髪で隠す人がいた。隠さず、まっすぐ人を見る人もいた。子どもの義眼は何度も作り替えた。成長で眼窩の形が変わるから、二年もすれば合わなくなる。背が伸びるのと同じことだ。
完成した義眼を初めて入れる日、私は感想を聞かない。鏡を渡して、一歩下がる。ある中年の男性は、鏡の中で何度かまばたきをして、それから、伸びていた前髪を指で横に分けた。隠すためではなく、出すために。私はそれを、二十六年見てきた。鏡の前で、その人の手が何をするか。手が答えを書く。
いまも、電車で人の目を見てしまう。一色の瞳はない。茶色だと思っていた目に、緑がいる。私はそれを、絵の具の名前で数える癖が抜けない。