ヒジリタクマ(50歳・義眼技師26年)
義眼は、作って終わりではない。むしろ、作ってからの付き合いのほうがずっと長い。私の仕事の半分は、新しく作ることではなく、もう何年も入っている義眼を預かって、磨いて返すことだ。人生に寄り添う仕事、と言ってしまえば聞こえはいいのだが、実際にやっているのは、ただの研磨である。
使われている義眼は、少しずつ曇る。涙の中のタンパク質が表面に薄く付着して、白っぽい膜になる。まばたきのたびに、まぶたの裏とこすれて、目には見えないほどの細かい傷が無数につく。一年も経つと、新品のときの艶が、どこか鈍くなっている。本人は気づいていないことが多い。気づくのは、たいてい装用感のほうが先だ。なんとなく、ごろつく。乾く。涙が増える。
磨きは、段階を踏む。リューターに大きめのバフをつけて、粗い研磨剤で曇りの層を落とす。次に細かいバフに替え、研磨剤も細かいものにする。最後は、ほとんど何もつけない布で、ただ撫でるように当てる。段を飛ばすと、艶は戻らない。新品の艶に戻ったかどうかは、表面に蛍光灯の管がまっすぐ一本、歪まずに映ったときにわかる。作ったときと、同じ確かめ方だ。
厄介なのは、義眼が曇るのと同じ年月で、その人の顔のほうも変わっていくことだ。加齢でまぶたの皮膚がたるみ、義眼を支える土手のような部分がやせる。すると、寸分違わず作ったはずの義眼が、少しずつ合わなくなる。義眼は変わらないのに、入れる側が変わる。同じ器が、いつのまにか別の器になっている。だから磨きついでに、当たり具合を見て、ふちをほんのわずか削ることもある。
定期的に通ってくる人たちがいる。半年に一度、一年に一度。十年、二十年の顔なじみになる。最初に作ったとき小学生だった子が、いまは私より背が高い。子どもの義眼は成長で何度も作り替えたが、大人になればそうそう作り替えない。だから、磨きながら世間話をする時間のほうが増えていく。就職した、結婚した、親を見送った。私はその人の片方の目を、二十年磨き続けている。
もっとも、磨きにも限界がある。傷が深くなり、ふちが薄くなり、何度磨いても曇りがすぐ戻るようになったら、作り替えを勧める。このタイミングの見極めが、いちばん気をつかう。早すぎれば商売の押し売りに見えるし、遅すぎれば、合わない義眼で何か月も我慢させてしまう。私は、本人が「最近ごろつく」と言い出す、半歩手前で切り出すようにしている。
磨いている間、装用者は待つ。予備の義眼を持っている人は、それを入れて待合に座っている。予備のない人は、眼帯をして待つ。三十分か、長くて一時間。雑誌をめくる人、目を閉じている人、窓の外を見ている人。眼帯の人は、なんとなく顔を伏せがちになる。その時間を、私はいつも作業の手元から、横目で見ている。
磨き上がった義眼を返して、入れてもらう。鏡を渡して、一歩下がる。多くの人が、入れた瞬間に同じことを言う。「軽くなった」。義眼の重さは、磨いても一グラムも変わらない。削った分があってもごくわずかだ。それでも、軽い、と言う。曇りで増えていた摩擦が消え、まばたきが滑らかに戻る。その滑らかさを、人は重さの言葉で語るのだと思う。装用感の正体が、たぶん、これだ。表面の、艶。
そういうわけで、私は今日も、誰かの片目を磨いている。見えない目を、見えるように磨くのではない。その人の顔に、また馴染むように磨くだけだ。軽くなった、と言ってもらえたら、その日はそれでいい。装用感の正体を返すこと——それが、たぶん、俺の仕事なのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。