核は強い。減り方の偏り(食べ歩き・温泉が減り、歴史散策が残る)、戻されたパンフレットの位置のずれ、「この店、まだあります?」と答えられない古さ、廃刊の最後の一束。この四点は、駅前で二十五年ラックの前に立った人間にしか書けない観察だ。問題は、書き手がその四点を信用せず、雨と匂いの書き割りで場面を始め、留保語尾で逃げ、最終段で「ラックは町の人気投票だ」と何度も同じことを言い直して回収してしまっていることだ。観察が強いだけに、装飾と説明がよけいに目立つ。
「旅をしない私にできるのは、人の足が向く方向を、紙の減り方から読み取ることだけだ。そうやって私は、行かない旅の人気を、毎朝知っている。」
「旅をしない私にできるのは〜だけだ」は、この書き手の三作すべての末尾に貼れてしまう自己規定のシールです。一作目では「質問の観察者」、二作目では「夜に立ち会う者」、そして今度は「紙の減り方を読む者」。毎回ここで自分を一段高い場所から要約して終わる癖がある。ラックの具体が十分に立っているのだから、語り手が自分の役割を言い直す必要はない。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めています。
「窓の外には冷たい雨が降っていて、案内所の中には紙とインクの匂いが静かに満ちていた。」
雨、匂い、静けさの三点セット。これは「初めて「ママ」と書いた日」のレビューでも指摘した、生成された“文学的な職場”の安い調達です。しかも今回は直後に「そんな日でも、ラックの減り方だけは変わらない」と続けてしまい、せっかく出した雨の場面が一行で無意味になっている。本当に二十五年ラックの前にいたなら、出てくるのは雨ではなく、束を留めていた輪ゴムの劣化や、いちばん下の段だけ陽に焼けた背の色のはずです。
「作る側の願いと、旅人の足は、別の方向を向いているのだろう。」/「私はその票を、毎朝かぞえているのかもしれない。」/「閉店した店の載った頁を、私は知らずに客へ渡し続けていたのかもしれない、と思った。」
この語り手は、毎朝かぞえている当人です。何束減ったかを数え、季節ものの仕舞いどきを決め、補充の量を判断している。その人の口から「かぞえているのかもしれない」が出るのはおかしい。かぞえているのです。「だろう」「かもしれない」は、断言を避ける作者の保険であって、二十五年ラックを管理した人物の語り口ではない。とくに閉店の頁の件は、「渡し続けていたのかもしれない」ではなく、実際にいつ・どの店で気づいたかを一度書けば、留保はいらなくなります。
「補充は、減った束の数だけする。〔…〕食べ歩きマップは三束、日帰り温泉は一束、歴史散策コースは、月に一度足すか足さないか。」
数字を出したのは良い。だが「束」が何枚なのかが書かれていないので、三束と一束の差が読者の体に入ってこない。一束が五十枚の輪ゴム留めなのか、二百枚の帯封なのかで、町の人気の格差はまるで違う。実際に毎朝補充している人間なら、束の厚みは指が覚えているはずです。概念の「束」ではなく、手が知っている束を書かないと、人気投票という比喩も空回りします。
「補充の頻度が、そのまま町の人気投票になっている。〔…〕抜き取られた一枚一枚が、票だ。」/「ラックは、町の人気投票なのだ。誰も投票しているつもりはないのに、減り方が票を数えている。」
「人気投票」「票」という同じ比喩を、三段目で一度立てたうえ、最終段でもう一度ほぼ同じ言葉で言い直しています。比喩は一度効けば十分で、二度言うと、読者が自分で気づく楽しみを奪う。しかも最終段の反復は、エッセイの主題を主題文として書き出す行為そのもので、それはもうエッセイではなく要約です。減り方が票だと言いたいなら、票という語を一度も使わずに、減った段の幅だけで見せるほうが強い。
「紅葉が減らなくなった朝が、仕舞いどきだ。人の足は、暦より少し早く季節を見限る。」
ここは本来この一篇でいちばん職業的な瞬間です。暦ではなく減り方で季節の終わりを決める——これこそ二十五年の手つきだ。なのに「人の足は暦より少し早く季節を見限る」という一般論で締めてしまい、肝心の判断の現場が抜けている。何日連続で減らなければ仕舞うのか、まだ一枚残っているのに替える踏ん切りはどうつけるのか。判断の基準と、その朝の迷いを書かないと、職業の手つきが格言にすり替わります。
「空いた幅の分だけ、町から何かが一つ消えたような気持ちになる。」
「何かが一つ消えたような気持ち」は、閉店でも引退でも卒業でも、どんな喪失にも置ける汎用の感慨です。廃刊の最後の一束という、これ以上ないほど具体的な物を前にしながら、感情だけを抽象語で受けてしまっている。消えたのが何だったのか——そのパンフレットがどの店の、どんな一軒のものだったかを一つ名指せば、「気持ち」と書かなくても喪失は伝わります。
残すべきは四つ。減り方の偏り、戻されたパンフレットの位置のずれ、「この店、まだあります?」に答えられない古さ、そして廃刊の最後の一束。削るべきは、冒頭の雨と匂い、留保語尾、最終段の「人気投票」の言い直し。改稿では、「票」「人気投票」という語を一度だけにするか、いっそ使わずに減った段の幅で見せること。季節ものの仕舞いどきは、格言ではなく「何日減らなかったか」という具体の判断で書くこと。束は手が覚えている厚みで書くこと。意味は、抜かれた一枚と空いた幅が運ぶ。語り手の要約が運ぶのではない。